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「失礼します。……」
レッスンルームのドアを開け、いつものように声を掛けたが中には誰もいない。時計を見てみたが、伝えられていた集合時間よりも十分程度早いくらいで早すぎるというわけではなかった。時間前行動が身についている壮五や、なんだかんだ時間に遅れることのない大和はいると思っていたのに、誰もいないとは珍しい。
一織はふうと一息ついてドアを閉めた。スマホでラビチャを確認してみたが、誰からも連絡は来ていない。
(……まあ、そのうち集まるでしょう。まだ時間というわけでもないし)
荷物を床に置き、一織はその隣に座る。そして新曲の振付の確認を始めた。今度レインボーシティでのライブで初披露する予定のものだ。彼の手元には環の踊る振付動画。
「んで、ここはこうやって~……こう!」
指示語の多いこの動画にも慣れてしまったなとぼんやり考えながら、上手くできない部分は環に直接教えてもらおうとメモを残す。
粗方覚えてはいるが、細かな部分のすり合わせはできていないのだ。今回の彼の振付も、七人揃えば圧巻なのだろう。
一織は環の振付に絶対的な自信を持っていた。彼の振付はファンからも人気が高い。ライブで披露する度に歓声が返ってくる。
(この間のツアーも好評だった。オーラスで兄さんが感極まってしまったんだっけ……)
先日終えたツアーライブのオーラス公演MCで、一織の兄である三月が涙ぐんでしまっていたのだが、意外といつものことである。アイドルという道を追い続けた三月はIDOLiSH7という夢を叶えてここにいるため、自分の担当カラーであるオレンジ一色に会場が染まる瞬間にとても弱い。
(……もしも兄さんがIDOLiSH7じゃなかったら、なんて、今更考えられないな)
スマホを脇に置き、鏡にもたれてそんなことを考えていると、不意に背後から声がした。
『では、見せてあげましょうか』
その声は、自分の声だった。しかし一織は声を発していない。そもそも背後から声が聞こえることがおかしいのだ。一織の背後には空間なんて無い。
『一度は考えたことがあるでしょう。私が兄さんのマネージメントをしていたら、って。その世界、見せてあげますよ』
自分ではない自分の声が、そう言って一織の肩を掴む。そのままぐいと引かれて一織は鏡の中へと引きずり込まれていった。
気付いた時には、一織はスクランブル交差点に立っていた。顔を上げれば目の前には大型のビジョンがあり、そこには兄が映っている。
『え……?』
兄は、アイドルだった。しかし、彼の所属するグループの名前は「PASSIONふるーつ」。IDOLiSH7ではない。
「行きますよ」
隣からぽつりと声がした。見れば、隣にはスーツ姿の自分がいる。これがこの世界で生きる和泉一織、なのだろう。
「私はあのアイドルグループのプロデューサーであり、マネージャーです」
歩きながら、マネージャーの一織は説明する。
「安心してください。あなたの姿は、私にしか見えていませんから」
それを聞いて少し安心した。同じ顔が並んで歩いていては目立つだろうな、と思っていたからだ。
マネージャーの一織はそれ以上話すこともなく、ただ黙って歩いていく。アイドルの一織も、黙って彼について行った。
そのうち大きなビルに辿り着く。そのビルには、星影芸能事務所と記されていた。
『こんな大きな事務所に……』
「ええ。でも、もうすぐこの事務所も危ないかもしれません。噂では、最近名を上げてきた新人俳優がこの事務所を揺るがす大きなネタを持っているとか。……あなたなら、知っているんじゃないですか?」
『…………』
知っているも何も、すぐに予想がついた。
噂の新人俳優とは、この世界の二階堂大和だろう。IDOLiSH7に、和泉三月や六弥ナギに出会うことなく独りで芸能界に入った彼なら、本来の目的を果たすためだけに人間関係を築き上げてしまうはず。
(二階堂さんは素直で器用だ。せめてRe:valeさんに出会っていてほしい……。……いや、今の二階堂さんなら、Re:valeさんでも止められないか。きっと今の二階堂さんに、IDOLiSH7の二階堂さんのような素直さはない)
「私は事務所のそういった悪事が暴かれた時に、兄さんに影響がなるべく出ないよう動くだけです。私は兄さんを守りたい。だから、マネージャーになったんです」
エレベーターの中で彼は語った。チン、と目的の階に着いて廊下を歩いていると、前から見覚えのある顔が歩いてくる。
「お、一織」
それは、和泉三月だ。メンバーカラーはIDOLiSH7の時と変わらずオレンジのようだが、フリルの大きな可愛らしい衣装に身を包んでいる。
「三月さん。社内ではマネージャー、と」
マネージャーのそんな発言に、三月からは「いいじゃん」と返ってくると思っていた。一織の知る和泉三月なら、そう言って笑って、肩でも組んできそうなものだ。
しかし、目の前の三月から返ってきたものは気を遣った声。
「ああ、そうだよな。ごめん、マネージャー」
「いえ。今は衣装合わせ中ですか?」
「うん。今度のイベント用の新しい衣装」
「似合ってます」
「ありがとう」
違和感。違和感しかない。アイドルの一織は顔を顰める。
会話の内容としてはおかしいところなど無いのだが、表情や声のトーンが違いすぎるのだ。なんと言うか、あれは……。
『…………』
スタッフに呼ばれて三月がマネージャーの一織から離れた。彼は傍らの自分へ声を掛ける。
「気付きましたか?」
『あれが……。あれが、兄さんですか……? あんな……』
「綺麗、でしょう。そう、綺麗なんです。……私が、削ぎ落してしまった」
マネージャーの一織はそう言って空いていた会議室に入ると、スマホを取り出した。
「見てください。ステージに立つ兄さんです」
ラビチューブに上げられているライブのダイジェスト映像だろう。大勢のファンの中で歓声を浴び、笑い、歌い踊る和泉三月というアイドルは、ファンサも、その挙動も、すべてに可愛らしいという印象を覚えた。
一織は、絶句する。そして唐突に気付く。
マネージャーとなった自分は、私が削ぎ落した、と言った。つまりこの三月は、一織がプロデュースした三月だということだ。一度、アイドルオーディションに落ち続けていた三月に口を出したことがある。そんな一織を、三月が拒まなかった世界なのだろう。自分が知っているよりもずっとあざとく、可愛く笑う三月を見て、一織はぞっとする。
この世界の自分は、和泉三月から笑い方を奪ったのだ。太陽のように周囲を照らす、あの眩い笑い方を、この世界の和泉三月はしてくれないだろう。オレンジのペンライトの海を前にして、涙で前が見えなくなって、言葉を詰まらせてメンバーに支えてもらうこともないのかもしれない。IDOLiSH7ではあんなに日常的なものなのに。
「私にはもう、兄さんの笑顔は取り戻せない。せめて、この場所だけは守ってあげたいとは思っています。アイドルであるということに偽りはない。でも、兄さんが本来目指していたアイドル像ではないことも、わかっています。だけど、私には、もうこれしかできない」
マネージャーの一織はそう言って俯いた。自分の選択が行き着いた先を、激しく後悔しているのだろう。だがこの和泉一織だって、三月のことが大切なのだ。小鳥遊社長へ、自分をスカウトするなら兄も一緒にと言った、和泉一織と同じ。
「あなたは、どうかこのままで。IDOLiSH7でいてください。IDOLiSH7の和泉一織として、IDOLiSH7の和泉三月の傍にいて」
アイドルとしてではなく、マネージャーとして兄と同じ夢を追うことを選んだ和泉一織は、その瞳に涙さえ浮かべて懇願する。
「兄さんの笑顔を、守って」
「一織!」
ばちん! 三月の声で目が覚めた。
「に、い、さん……」
「珍しいな、一織がこんなところで寝るなんて。疲れてる? 大丈夫か?」
目の前で心配そうに声を掛けてくれている三月は、見慣れた練習着を着ている。そんな三月の背後に環やナギの姿もあり、一織は途端に安心した。ああ、IDOLiSH7だ。
「……大丈夫です。少し、うとうとしてしまって」
「結構ガッツリ寝てたぜ、いおりん。みっきーしっかりめに起こしてたもん」
「お寝坊ヤマトを起こす時に比べれば、小鳥のさえずりのように優しかったですよ」
「当たり前じゃんか。一織は声掛けたらちゃんと起きてくれるけど、大和さん起きねーもん。あともうちょっと~とか言って二度寝しようとする」
「ああ! だからこの間、大和さんの部屋から布団を抱えた三月さんが出てきてたんですね」
「だから大和さんもしょぼしょぼの顔で起きてきてたんだ!」
「そういうこと」
「ミツったら渾身の力で俺から布団ひっぺがすんだもん……。俺がミツに力で敵うわけないじゃん……」
他愛のない、中身も無い、そんな仲間達のやり取りに心底落ち着く自分がいることに気付き、一織はふっと笑う。
「ん、どうした? 一織。良い夢でも見てたのか?」
「あ、いえ。そういうわけでは……」
あれを良い夢だなんて死んでも言えない。あちらの自分には悪いが、あれは最悪のルートだ。兄に、偽りにも似た夢を叶えさせてしまう、最悪のルート。
「……ただ、兄さんがIDOLiSH7で良かったな、と」
「なんだそりゃあ」
三月はけらけらと笑う。
「兄さん」
「うん?」
「兄さんは今、幸せですか?」
唐突な質問に、三月は面食らったような顔をしたが、すぐにその顔を笑みで満たした。一織の頭をくしゃりと撫でる。
「当たり前だろ! アイドルになるのはオレの夢だったし、すげえ幸せだよ! 同じグループに、可愛い自慢の弟だっているんだし! 幸せ以外の何物でもないよ」
今一度、一織は誓う。兄の笑顔が曇らない、このIDOLiSH7というグループを守ろう。愛する、大好きな、IDOLiSH7のことを守ろう。
「一織ー! 三月ー! 振り合わせ始めるよー!」
「はい!」
「おう!」
願わくば、この七色の虹が消えることなく、永久にこの空に架かっていますように。
