なな利き2

C01 あのとき見ていたもの、いま見ているもの

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「君には、ゼロを超える才能がある」
そう声をかけられて、鞄ひとつでアメリカへと渡った。
「荷物はそれだけかい?」
「はい。アイドルになるのが目的なので。本当に必要なもの以外は置いてきました」
九条さんはいつも、物腰柔らかく話しかけてくれる。近所の人やクラスメイトの両親とは違う、独特な雰囲気を持っている大人。
日常から切り離したような、すこし違う道を見ているような。鳥のようでいて、でも授業で習ったマグマのようなゆったりとした熱っぽさを感じる。
九条鷹匡。この人と、これからここで生活するんだ。

空港を出てタクシーに乗り、お洒落な街並みを抜けて茶色の建物の前で停まる。5階建てで窓がいっぱいあって、所々に植木鉢が置いてあった。
「入って」
呼ばれて慌てて後を追い、迷いなく進む背中を眺める。3階まで階段を上がると、右奥の部屋に向かった。
「ここが君の部屋だよ」
「ここが……」
ドアを開けて中に入ると、少し埃っぽいけど暖かな日差しが差し込んでいた。テーブルと椅子、白のレースカーテン、キッチンには小さい冷蔵庫、シャワールーム、ベッドが一つ。
「あの、九条さんはどこに住んでいるんですか? お隣の部屋ですか?」
「いや。僕は別のところに部屋を借りてるんだ」
九条さんの細い指が流れるように窓を開け、ふわりとした風が入ってきた。
「君が通うレッスン場以外にも、いくつか担当しているところがあってね。だから毎日はこっちに居られないんだ」
「そう……なんですね」
見知らぬ土地で一人きり。ようやくそれを実感する。
「寂しいかい?」
首を横に振る。寂しさを感じていい立場じゃない。
「他のレッスン生は寮のように大部屋で生活しているけれど、君は特別だからね。それに、ただでさえ慣れない生活なんだ。休めるときはしっかり休みなさい」
「はい、九条さん。ありがとうございます」
期待してくれているのは嬉しい。その気持ちに応えて、早く認めて貰えるくらい上達しよう。
ゼロを超えるアイドルになるために。

未知の土地で、今までとはまるで違う生活を送る。
歌とダンスのレッスン、学校、またレッスン。
英語は少ししかわからない。正確に適切なレッスンを受けるためにも、もっと勉強しないと。
九条さんが紹介してくれた先生達は、すごい人達ばかりだった。発声、歌、ダンス、演技、撮影の指導もあった。
特にダンス指導のアッシュ・ベイカー先生は、拙い英語で話しかけても気さくに楽しく、でも容赦なく教えてくれた。
日に日に、自分の中身を底上げ出来ている感覚。今日は昨日より上手く、明日はさらに上達しようと、試行錯誤を繰り返した。
一人、夜の部屋でノートを広げレッスンを振り返っていると、夜風が窓から入ってきて髪を撫でた。
部屋や風の匂いも、見える景色も音も全然違って、違うからこそ懐かしく感じる。
ケータイを取り出して、電話帳を辿っていく。発信ボタンを押す手前で止めて、小さく息を吐いた。
今、何してるかな。
大丈夫かな。
元気にしてるかな。
一人で寂しくしてないかな。
話がしたい。でも駄目だ。自分で、ここに来るって決めたんだから。
ケータイとノートを置いて、窓を閉めてベッドに入る。
最後に頭を撫でてもらったのはいつだったろう、なんて考えながら、眠りについた。

九条さんが立てたメニュー通りにレッスンをこなしていく。英語もだいぶ話せるようになったし、先生達との意思疎通もスムーズにできるようになってきた。
季節が移ろい、冬が来た。日本の冬とは違うその景色に、思い出が次々と頭に浮かぶ。
温かく過ごしているかな。風邪をひいていないかな。どうしても、ふと考えてしまう。自分のスキルは上がっても、心は未だに半分向こうに置いてあるみたいな気持ちになる。
数日ぶりに来てくれた九条さんは、神妙な面持ちをしていた。自分の弱い部分を見透かされてるのかと思ったけど、でもどこか、遠い何かを思い出しているような顔にも見える。
「九条さん、どうでしたか?」
「とても良かったよ。やっぱり、君には才能がある」
問いかけると、にこやかに返事をしてくれる。でも九条さんは、意を決した空気を纏って組んでいた腕を解いた。
「君に大事な話があるんだ」と細められた九条さんの目に、どうしてだろう、胸がざわついた。
「おいで。君にプロの世界を、見せてあげよう」

ーーーーー

九条さんに案内された先で見た、プロになったのに夢破れたアイドル達。一人残ったレッスン室で、彼等の悲しい顔を思い出しながら汗を拭く。
ファンに左右されない。
ファンを愛さないし、自分の価値は自分で決める。
喜ばない。
心を動かさない。
それが、『オレ』が目指すべきアイドルの姿。
鏡に映る自分に、言い聞かせるように頭の中で唱える。
九条さんが望むようなアイドルになれたら……。
なれたら、じゃない。なるんだ。
オレが選んだ道なんだから。
目を閉じて弱い自分を内側に押し込めて、再びステップを踏んで声を張り上げた。

ーーーーー

九条さんが見せてくれた舞台は、鮮やかで激しい拍手と歓喜に包まれ幕を下ろした。今までに何度か舞台を観せて貰ったけれど、今回が一番圧倒された。
でも、九条さんと共に訪れた控え室では、主演女優が泣き崩れていた。旦那さんを昨日亡くしたらしい。
これが、プロの世界。
ファンに奉仕する。たとえ、自分がどんな状態であっても。
ボクにとってそれは、ずっと当然で、日常だった。でも、ここまでの覚悟を持っているだろうか。
控え室の鏡に映る姿に、陸を浮かべる。
もう会うことは無いだろう、でも誰よりも届けたい相手。幼い頃からの、ボクのファン。
九条さんは、ボクの心の揺らぎに気付いたんだろう。ボクも気付かされた。
たとえ観客席に陸を見つけても、ボクがこの女優さんと同じ状況になっても、同じように歌いきる覚悟と決心を与えてくれた。
ボクが目指す、アイドルの姿。
鏡から目を逸らして、真っ直ぐにプロの世界を心に焼き付けた。

ーーーーー

「おはようございます。本日はよろしくお願いします」
「おはようございます。よろしくお願いします」
収録スタジオの扉の前で鉢合う。いよいよ、GREEN BUBBLEの曲の収録日。
あの頃鏡の向こうに探し求めていた存在から、もう逃げたりしない。
今は自分自身の足で立って、自分をさらけ出すように声を出して、みんなと音を重ねられる。
あの日、ベッドでひと粒だけ流した涙は、もうすっかり乾いていた。

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