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「ヤマさん鏡ある!?」
「うお!? なに!?」
「ごめん! 鏡! 鏡ある!?」
ノックもなしに開け放たれた扉の前で迷子の子供みたいな顔のタマが立っていた。迷子の子供っちゃ迷子の子供なんだけど、態度の太々しさは自ら迷子センターに行って、保護者を呼び出してもらうタイプのそれに近い。
「なに、鏡? どんなの探してんの」
「なんでもいいけど持つとこついてるやつがいい! 持ってたら貸して!」
タマが欲しているであろう手持ち部分のついてる手鏡に覚えはない。俺が持ってるのは手のひらに収まる薄い名刺ケースのようなアルミ製のコンパクトミラーだけだ。
「ないよ。他当たって」
「えぇ――! ヤマさんが最後のトリデなのに…!!」
しょんもりと眉を下げたタマが「困ったな」と視線を落としながらうろうろと左右にやった。
自覚してるけど俺はメンバーに弱い。リクの「大和さぁん……」には一発で負けるし(自分のことは棚上げさせてもらうけど、これに関しては勝てるヤツを探す方が難儀だと思う)ナギの「ヤマト……」にも弱い。タマの「ヤマさぁん!」も同じくらい効く。ミツの「大和さん」、イチの「二階堂さん」、ソウの「大和さん……」だって、なんだかんだ断れない。
……まって。弱いとは言ったけど。…マジで弱いな。
現に今だって読み途中の台本を閉じて、タマの探し物こと手鏡を探す算段を脳内で立て始めていた。
「で、なんで手鏡?」
寮にないなら買いに行くか、とタマを助手席に座らせる。雑貨屋なり百均なりどこにでも売ってるだろうけど、そもそもどうして必要なのか。
「秋じゃん、今」
「え? あぁ、そうだな……?」
「秋っつったら文化祭じゃん?」
そっか、高校生は文化祭の時期か。遥か彼方に追いやった学生時代の記憶でも確かにこの時期だった。話の持っていき方に困惑する俺そっちのけで「ヤマさんの運転久しぶり」とはしゃぐタマは助手席の窓から猫を見つけて「にゃあこいる!」と声を弾ませる。
「で、文化祭で使うのか」
ウインカーを出して右車線に合流したところで少し先の信号が黄色くなった。ブレーキに置いた右足に体重を乗せる。
「そー! 白雪姫やんの。鏡よ鏡~って」
「へえ。で、タマは何役なんだ?」
「言わねー」
「よし。寮に帰ろう」
「ヤマさぁん!!」
ガッと運転席側に乗り出してきたタマをゆるく諌めながらアクセルを踏む。秋晴れの空は遠くに雲が薄くかかって空が高い。涼しくなるし、食いもんは美味いし、ビールも合う。いい季節だ。
「………み」
「…ん?」
「鏡!!」
「なにが」
「はぁ!? ヤマさんが言えって言ったんじゃん!!」
「え、役?役の話? 鏡って、あの、アレ?『この世で一番美しいのは貴女です』の鏡?」
「そー! それ。俺、それだから」
どこか恥ずかしそうに会話を切り上げたタマがヘソを曲げ始めたから「じゃあイチは?」とさして気にしていませんが、のテイで話を振ってみる。ほら、演技派だから。お兄さんって。
ちら、とこっちを伺い見たタマの尖った口が小さく開いて内緒話をする時みたいな声を出した。
「いおりんはママハハ」
「ママハハ……っ継母!? じゃあタマに『鏡よ鏡』って話しかけんのはイチってこと!? っふ…ちょっと、ハマり役かも……!」
「だよなー俺もそー思う! あ! いおりんには俺が言ったって内緒にして! めちゃくちゃ怒るから!!」
「言わない言わない。でもあれだな、女役は女子にとかってなんなかったわけ」
「いくら高校生でも俺ら現役アイドルだし? 文化祭で劇やりますーつって出なかったらぜってー文句出るけど女役を女子がやっても文句でるじゃーん」
タマは「セーゲンが多いの!」なんて言いながら片方の頬を膨らませて窓の外を見ながら頬杖をついている。車窓を流れていく街路樹はところどころ黄色くなっていて、歩道には気の早い落ち葉が何枚か転がっていた。さっきまで「にゃあこ!」なんて騒いでたくせに静かになった横顔に色気が滲んでいて、これがうちの抱かれたい男ランカーね、なんてちょっと感慨深くなる。当人は何も思ってないんだろうけど。
「なるほど? じゃあ裏方全員女子なんだ」
「そうだけど違くて。二本やんの」
「二本?」
右手でピースを作ったタマがにひひと笑う。ころころと変わる表情は結成当初より鮮やかになったように感じるのはきっと間違ってない。
「短い台本で男女別なの。俺らが白雪姫で、女子は桃太郎。んで、女子が演じてる間は俺らが裏方!」
なるほど。配慮の結果ということか。いくら芸能科があれど外部からの参加者もいる学園祭でのリスクヘッジとしてはまあ賢いやり方だと思う。と、いうことは、だ。
「じゃあさ、亥清は……?」
まさか七人の小人じゃないだろう。俺がもし監督でこの題材を亥清に演じさせるなら――
「白雪姫」
……だよなあ。
「あ! これも俺が言ったって言わないで!! あと口止め料で王様プリンも買って」
「普通逆だろ」
***
目的地の百均は駅前の雑居ビルの一階に入っていた。
大きなガラス窓には午後の空が映り込んでいて、自動ドアが開くたびに外から入り込んだ風が入口脇のポップをぱたぱたと揺らしている。もう十月だというのに日向はまだ少し暑くて、店内に入った瞬間空調の冷えた空気が首筋を撫でた。
入口には季節商品のコーナーが組まれている。オレンジ色のカボチャ、黒い帽子、紫色のリボン。ハロウィンだの秋色だのと書かれた札の下に小さな置物や包装紙がぎゅうぎゅうに並べられていた。
「どこだー、鏡ー」
帽子を目深に被ったタマが先に歩いていく。
目的地が決まっているときは足が速い。颯爽と歩く後ろ姿はさっきまで俺の助手席で猫を見つけては騒いでいたのと同じ人間とは思えないほど大人びて見えた。
「持つとこついてりゃなんでもいいんだろ?」
「うん。あと、できれば大きいやつ」
タマが振り返って、へらっと笑う。年相応のあどけなさが残る、見慣れた笑い方だった。
整然と並べられた商品棚の隙間から店内を流れる有線放送が流れていた。百均に似つかない洋楽のEDMが、商品の補充をする台車の音とレジから聞こえる電子音に混ざって、ところどころ途切れながら耳に届く。大雑把に棚に貼られた「トラベル」「衛生」「化粧品」の張り紙を見ながらなんとなくありそうな場所に当たりをつけて化粧品やらヘアブラシやらの棚を抜けるれば目的の鏡は売り場の奥の方にまとめて掛けられていた。
折り畳めるもの、丸いもの、四角いもの。猫の耳がついたものまである。壁に貼り付けるタイプの大きな鏡もあれば(これは百円じゃないみたいだけど)手のひらに収まるような小さなものもあった。
タマが鏡面を覗き込んでいく。が、三十秒と経たないうちに結局一番手前にあったものをフックから外して手に取った。
「これでいいや」
黒いプラスチックの持ち手がついたごく普通の手鏡。鏡面には天井の蛍光灯が白く映り込んでいる。タマが角度を変えるたびにその向こうに俺の顔や、商品の棚や、白い天井がちらちらと現れては消えた。
「良いのがあって良かったな」
「うん! ヤマさん、あんがと!」
あっさり決まった。
……あまりにもあっさりしている。こっちはわざわざ車を出してまで来たっていうのに。
「……ほんとにこれでいいのか?」
「いいよ。鏡だし」
「いや、まあ、そうだけど……」
タマは鏡の横に並べられている飾りのついたヘアゴムを見ている。買うと決めた瞬間、用事は終わったらしい。
「お前、切り替え早いね」
「だって鏡見つかったし」
まあ、そうなんだけどさあ。
「ヤマさん」
「ダメ」
「まだ何も言ってねーし!」
いくつか品物をカゴに入れつつレジまで向かう道中、ふとタマが足を止めた。視線の先には文具コーナー。売り場に並ぶ王様プリンコラボの文房具を見つめるタマの目はさっき鏡を選んでいたときより明らかに輝いている。知ってた? 王様プリンってコラボ多いのよ。きっとウチみたいに優秀なプロデューサーがバックについているに違いない。
そんな四方山事を考える俺の横でタマが王様プリンのスリーブに入った消しゴムを選んでカゴに突っ込んだ。
レジを済ませると、店員が小さな袋に商品をまとめてくれた。鏡が袋の中で他の商品にぶつからないよう薄い紙を一枚挟んでくれている。店の自動ドアが閉まればさっきまで聞こえていた店内の音が途端に遠くなった。
駅前を行き交う人の影が長く伸び、ビルの隙間から差した光が歩道を薄い黄色に染めている。少し乾いた風が吹くたび、街路樹の枝先から秋風に攫われて乾いた葉が一枚、二枚と舞う。
「ヤマさん」
「コンビニだろ?わかってるって。お兄さんも飲み物買おうかなぁ」
駐車場の隣にあるコンビニに吸い寄せられるように入って、レジ前のスイーツコーナーに引き寄せられていく背中を見ながら店奥の壁にある冷蔵コーナーの缶コーヒーに手を伸ばす。ついでにお菓子の棚でマジカルここなウエハースvol.6を前から二袋手に取って、王様プリンを両手にひとつずつ持ったタマを回収してレジに向かった。
コンビニを出たところで隣で鼻歌を口遊んでいるタマが買い物袋をぶら下げたまま空を見上げて鼻先で天を指す。
「なーヤマさん!今日めっちゃいい天気じゃね?」
「そうだな」
「文化祭の日も晴れるかな」
「ちゃんと天気予報見とかないとな」
「ヤマさん見といて」
「自分でチェックしなさい」
「ケチ〜! そーちゃんに見てもらう!」
ケタケタと笑いながら助手席に乗り込むタマの手首に引っかかった袋の中で、プリンの瓶がカツンと音を立てた。
「ヤマさん、プリン食っていい?」
「え、今?」
袋からひとつ取り出して十七歳は返事を聞く前に蓋を開けた。ビールを取ろうと冷蔵庫を開けるたびに目が合う見慣れたキャラクターと車内で相見えるのは新鮮に思えた。
「もーおまえさん車の中で……。こぼすなよ」
「ヤマさんが急ブレーキしなきゃ大丈夫!俺食うのうめえからこぼさねーもん」
ご機嫌に「いっただっきまーすっ!」とスプーンを手に取るタマを横目にエンジンをかければエアコンから出てくる風が若干こもっていた車内の熱と共に甘ったるい匂いを少しずつ押し流していった。ダッシュボードの時計を見ると帰るにはちょうどいい時間だ。台本の続きも読まなきゃいけないし。
夕方の道路は行き交う車が増えていて、フロントガラスの向こうを赤や白のテールランプが流れていく。歩道を歩く学生の制服が夕日に照らされていつもより濃く見えた。信号が青に変わったのを確認してアクセルを踏む。
隣ではスプーンが容器の縁に当たって、かつ、かつ、と小さな音を立てている。
「うま! やっぱ王様プリンが最強!」
「そりゃよかったな」
「ヤマさんも食う?」
「俺はいいよ。タマが食べなさい」
「一口だけ」
「いらないって」
きゃらきゃら笑う声が車内に残って、フロントガラスの向こうへ流れていく街の音と混ざった。
窓の外を流れていく街並みは、夕方の光をまとって少しだけ色が濃くなって、街路樹の葉先が赤や黄色に染まり始めている。道路脇の小さな公園ではランドセルを背負った子供が遊具の周りを走っていた。
赤信号で止まっても助手席からはまだ甘いカスタードの匂いがした。
「ヤマさん」
「ん?」
「今日、ありがと」
スプーンを口に入れたまま、タマがこっちを見る。
「……はいはい」
バックミラーに映ったタマの顔が、スプーンを咥えたままふにゃりと緩む。さっきまで騒いでいたのが嘘みたいに、今は静かにプリンを食べている。夕日の差し込む助手席だけが明るくて、その横顔も色素の薄い髪も淡く橙色に染まっていた。
***
寮に戻ったのは夜の一歩手前の時間だった。日中は暖かい日差しがあったけどこの時間になると少しずつ冷えてくる。玄関前の植え込みから虫の声が聞こえた。昼間は気にならなかったのに夕方になると急に存在感を増す音と冷めて乾いた空気に今日何度目かの秋を感じる。
「ただいまー!」
タマの声が玄関に響く。
「おー、おかえり! 大和さん、環、鏡買えた?」
リビングからミツの声が返ってきて、俺は今日もこの声で帰ってきたなあと感じる。最初はぎこちなかったけど、今は俺だけがオフの日の静かな寮がちょっと寂しく感じるくらいには、ここにある暖かさに慣れてしまった。
「買えたー!」
リビングに入るなり嬉しそうに袋から鏡を取り出して見せるタマに「プリン冷やしとけよ」と声をかける。キッチンに立っていたミツがタマからプリンを受け取って冷蔵庫の扉を閉めた。
「ならよかった! オレも買ってきたんだけど」
「……は?」
思いもよらない返答に思わず声が漏れる。えっとなー、これこれ、なんてミツが掲げたのは俺が今さっき買ったものとよく似た手鏡だった。赤い持ち手。少しだけ丸みを帯びた鏡面。値札もまだついたままだ。
「一応、予備。百均で見つけたから」
「……」
タマの手にある鏡を見て。
もう一度、ミツの鏡を見た。
リビングの照明がそれぞれの鏡に反射して、白い光が二つ、三つと目に入る。
「なんで?」
「いや、環が鏡探してるって言ってたじゃん」
その声に続くように、廊下の奥からぱたぱたと足音が近づいてくる。
「おかえりなさい。環くん、大和さん」
ソウだった。
片手には買い物袋。ソウがこちらを覗き込んで頭上の双葉がお辞儀をするみたいに揺れる。にこ、と柔和な笑みを浮かべたソウの視線ががタマの手元を捉えた。
「あ、もしかして大和さんも鏡を?」
「……ああ」
「僕も買いました」
微笑んだままソウが袋から取り出したのは、木製の持ち手がついた丸い鏡。シンプルながら木目が綺麗に出ている。持ち手にブランドロゴの焼印が入っていた。鏡にきょとんと立ち尽くす俺たちが小さく映り込む。なんというか……ちょっと滑稽だ。
「…………」
「ヤマト、タマキ! ウェルカムバック!」
跳ねるような足音とナギの声。階段を下りながら手にしたものを大事そうに掲げて俺たちに差し出して――
「ワタシも鏡、用意しました!」
「なんで!?」
今度は思わず声が出た。
「帰りに見つけたのです。ほら、とてもキュートでしょう?」
ナギが差し出したのは白い持ち手に金色の装飾が施された小ぶりな鏡。
「いや、キュートとかは今どうでもいいんだけど」
「リビングの入り口で何を騒いでるんですか」
声のした方を見上げると、イチが階段の手すりに片手を置いてこちらを見下ろしている。
「イチ、まさかとは思うけど……鏡、持ってたりしない?」
「持ってますが」
「おまえさんも持ってんの!?」
「何をそんなに驚いてるんですか。四葉さんから必要だと聞いたので」
俺を見ながら呆れるように階段を下りてきたイチがポケットから細長い銀色の手鏡を取り出せば、リビングの照明が鏡面を横切って反射した光が壁に一瞬だけ走った。
「…………」
もう何も言えない。
「俺も! 俺も持ってる!」
横からタマが嬉しそうに声を上げる。
「おまえさんには今俺が買ってきたんだから持ってるのは当たり前だろ」
「へへん」
「『へへん』じゃないよ」
メンバーと共にリビングの机に鏡が増えていく。値札がつきっぱなしのミツの鏡。ソウが手にした木製の鏡。ナギの装飾のついた鏡。イチの銀色の鏡。そして俺が今しがた買ってきた黒い手鏡。
「…こんなにたくさん鏡ばっかりどうすんだよ」
「いいんじゃね?大は小を兼ねるって言うし」
「アイドルたるもの身だしなみは大切ですよ二階堂さん。現場用のカバンに入れて持ち歩いては?」
「いやお兄さんは遠慮しとくよ」
イチの視線から逃げるみたいに冷蔵庫を開けに行ったタイミングで玄関のドアが開く音がした。
「ただいまー!」
数秒後、リビングに入ってきたリクが不思議な光景に首を傾げながら俺たちを順番に見る。
「あれ? みんな何してるの?」
「リク、……鏡持ってない?」
「鏡?」
一瞬きょとんとしたあと、リクが「あ」と声を上げた。
「持ってます!」
「お前も!?」
「はい! さっき百円ショップで見つけて。環が使うんだよね?」
左肩にかかった鞄を下ろしてリクが中を探る。取り出されたのは、水色の持ち手のついた手鏡だった。
「これ! 環の色だーと思って!」
買ってきちゃいました! と咲き誇るガーベラみたいに笑うリクがテーブルに手鏡を置いた。
上から覗き込めば、鏡面には照明と七人の顔がばらばらの角度で映り込む。
「…………」
誰も何も言わず卓上の鏡を見比べていた。
俺の鏡。
ミツの鏡。
ソウの鏡。
ナギの鏡。
イチの鏡。
それから、リクの鏡。
「……アイドルたるもの身だしなみは大事だもんな。持ち歩くかぁ」
ぼやく俺とは対照的にタマが嬉しそうに笑う。元々タレ目なのに笑うとより目尻が下がって幼く見える。秋晴れより眩しい、今日一番の笑顔だった
「みんな、あんがと!!」
