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今まで、何度、開けてきただろう、と一織は思う。
家、部屋、学校……ありとあらゆる扉を開けてきた。
時には、開けるのを躊躇したり、緊張したりしながら、数えきれないくらいには。
アイドリッシュセブンになってからは、普通の人では開けないであろう、楽屋やスタジオの扉も、ラインナップに加わり、幾度となく手を伸ばしてきた。
だが、と一織は、一枚の大きな扉の前で立ち尽くしている。
『……何度開けても、この扉だけは慣れない』
レバーを横に引けば、軽い音を立てて開くであろう扉。
飾りっ気のないそれのそばには、一枚のプレートが取り付けられてはいるが、名前欄は空白のままだ。
芸能人だからこその待遇に、自分たちはそこまでになったのだ、とほんの少しだけ誇らしい気持ちにもなる。
とはいえ、本当なら世話にならなくていい場所にいる、という事実に、その気持ちも瞬時に萎びてしまった。
こうしていても仕方ない、と、一織は軽く拳を握る。
「………どうぞー」
「……失礼します」
ノックの後に聞こえてきた声は、昨日よりはしっかりしているようだ。
からから、と軽い音を立てて開いた扉の向こうに、鮮やかな赤を見つけて、思わず目を細める。
「一織!来てくれたの!?」
「昨日、本を持ってこいと言ったのは七瀬さんでしょう」
「それはそうだけど」
「……具合はいかがですか?」
会話をしながらも、一織は、持ってきた本を陸に渡した。
「……昨日よりは楽になったよ!早くこれも外したいんだけどな」
「無理をして退院が先延ばしになるよりは良いでしょう?……しっかり身体を休める事が、今のあなたの仕事です」
「はぁーい」
季節の変わり目と、多忙による過労が重なり、少し酷めの発作を起こしたのは四日前。
救急車で搬送され、そのまま入院となった。
苦しそうに目を閉じる姿に、一織も環も咄嗟に動く事が出来なかった。
大和や三月、壮五がいなかったら、間に合わなかったかもしれない。
ナギが必死に、一織や環の肩を抱きながら、「大丈夫、リクは大丈夫です」と繰り返してくれた。
「ごめんな、仕事……」
「問題ありません。七瀬さんでなければダメなものは、無事にリスケできましたし、他の仕事は、四葉さんや六弥さんが張り切って手を挙げてくださいました」
「退院したらお礼しなきゃな~」
「そうですね」
パラパラとページを捲りながら、軽い口調で言う陸は、鼻にあるカテーテルが無ければ、いつもと同じ姿にしか見えない。
しかし、隣にあるモニターの数字は、不安定に上がり下がりを繰り返していた。
「着替えはここで良いですか?」
「うん、ありがとう!」
「洗濯物は……これですね」
ベッドの下にある袋を、持参した袋に入れ替え、一織はようやく椅子に腰掛ける。
「一織、今日は?」
「今日は、学校だけです。ただ、兄さんが遅いので、夕飯を作りますけど」
「なに作るの?」
「……暑いので、冷やし中華にしようかと思っています」
「いいなぁ……一織の冷やし中華」
「退院したら作りますよ」
「ホント!?約束だからな!」
嬉しそうに笑う陸につられ、一織も小さく微笑んだ。
その後、看護師や清掃スタッフが、何度か部屋にやって来る。
その度に、開いたり閉じたりする扉を、一織は見るでもなく見つめた。
「どうしたの?」
「え?」
「じっとドア見てるけど。……あそこには、誰もいないよ?」
「……四葉さんの前では、それ言わないでくださいよ」
はぁ、と一つ息を吐き、一織は「大した事はありません」と返す。
「さっき、部屋に入る前、少し緊張していたんです」
「……なんで?」
「七瀬さんの返事が聞こえなかったら、と」
「………心配かけてごめん」
「今更です。ただ、貴方が搬送される時、私も四葉さんも何も出来なかったのが悔しくて」
「………それ、天にぃも良く言ってた」
「ですので、救命講習に行く事にしました」
「は!?」
目と口をポカン、と開けたままの陸を、一織は真っ直ぐ見つめた。
「リスクヘッジは大事ですから。それに……不安なまま、あのドアを開けたくないので」
「……うちのメンバー、頼もしすぎない?」
「大事なセンターのためですからね」
そう言った一織は、「また来ます」と声をかけ、レバーに手をかける。
開いた扉は、来た時よりも軽いような気がした。