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長いレコーディングを終えて事務所に戻り、今やすっかり私たちの秘密基地となった部屋の扉を開けると、そこは、猟奇的殺人事件の現場だった。床に朱色の液体がこぼれ、壁には赤黒い痕があり、モントマさんは怯えて部屋の隅で震え、モンはるさんは仰向けになって、手足をバタつかせながら、ギャンギャン泣き喚いている。2人の顔には赤い線状の傷跡のようなものがついており、何やら怪しげな小瓶もテーブルに置いてあった。
「何これ。どういうこと」
「モントマ、どうした、ほら、こっちに来いよ」
「…この2人は比較的大人しい方じゃなかったのか?」
「部屋の中を飛び回って遊んでいたにしても、こうはなりませんよね……」
おそるおそる中に入っていくと、ぐったりした顔の宇都木さんがいた。その手には、濡れ雑巾と住居用クリーナー。おや、と思って見れば、ホワイトボードから赤インクの水性マーカーが無くなっており、床には野菜ジュースの缶が転がっている。そして、小瓶のラベルには、ベンジンと書いてあった。それでようやく分かった。この惨状を引き起こした犯人は
「新しいモンですね」
「あぁ、そうなんです。よく分かりましたね」
「この2人だけなら、絵を描くにしても、ここまで大胆なことはしないでしょう。とすれば」
部屋の中を隈なく見渡すと、それは私の足元にくっついていた。丸い身体に2本の触覚、どこか眠たげな一つ目に、緩く結ばれた口。そして、胴体の中心近くに私と似たような顔がある生物。本来ならば、鳥の子色であろう毛並みは、野菜ジュースと赤インクに塗れて、もはや元の色を留めていなかった。
「あなたでしたか」
「ミナ?」
「壁の落書きに、床のシミ。これはあなたがやったんですか」
「ミナナ〜」
毛玉はどうぞ見てくださいとばかりに手を揃えて、落書き──もとい、彼の作品群を指し示した。
宇都木さんによれば、差し入れにもらった野菜ジュースを飲もうとして、うっかりモントマさんが溢してしまったところ、それをきっかけに、毛玉が部屋じゅうに絵を描き始めたのだという。床や壁では飽き足らず、しまいにはモントマさんたちの顔も化粧の要領で色付けようとしていたらしい。
「お絵描きが好きなのは分かりました。部屋をキャンバスに見立てる発想力も評価できます。しかしながら、ここは事務所と言って、大勢の人が出入りする場所です。汚れていると判断されるでしょうし、何より、使った道具が散らかったままというのは感心しません」
「ミナ……」
しょんぼりしている彼を撫で、身体の汚れを軽くウエットティッシュで拭いてやると、毛玉は驚いた様子を見せたものの、気持ちよさそうに目を閉じている。
「メイク落としもあった方がいいでしょうし、この子専用の色鉛筆やノートも欲しいので、ちょっと買い出しに行ってきます。……あなたも行きますよ。私のカバンに入っていてください」
「ミナ!」
この好奇心旺盛な子が、いつまでもこの場に留まっていては、片付くものも片付かなくなるだろう。あたふたしている面々を後目に、まだまだ清掃作業が終わらなさそうな部屋の扉を閉めた。