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ヘアメイクアーティストを仕事にしたのは、表に立つ人が輝くための『武装』を手伝えると思ったからだ。幼い頃から、人が変身する姿を見るのが好きだった。魔法少女もののアニメは漏れなく見ていたと思うし、戦隊もののドラマも大好きだった。でも、自分が変身することには興味が沸かず、妹の髪をいじったり、友達と一緒に雑誌のメイク特集を読んだりするだけで満足していた。そんな私の姿を見た母が、『ヘアメイクさんとか合ってるかもね』と何気なく言ったのも、この夢を抱いたきっかけの一つだ。
テレビを通して、キラキラ輝くアイドルに眼を惹かれたのもある。歌って踊ることにはあまり興味は持てなかったけれど、アイドルの髪型やメイクに注目し、妹をモデルに試行錯誤しながら再現して楽しんでいた。おかげで妹は周りから勝手に『アイドルになりたいの?』って言われていたくらいだった。そんなことはなかったのだけれど。
専門学校に入ってからは、自分の夢がどんどん現実のものなっていくこと、そしてその恐ろしさ、大変さを味わうことも多かった。周りの高いレベルについていくのがやっとで、毎朝妹のヘアメイクをやらせてもらって練習して。妹は、『お姉ちゃんのヘアメイク評判いいんだよ!』なんて嬉しい言葉をくれたけど、プロの世界でやっていくには、まだまだ足りない。修行修行の日々だった。
卒業後は、なんとか弟子として雇ってくれるヘアメイクアーティストの先輩を見つけて、その人が担当するアーティストのヘアメイクをお手伝いしながら、実務で仕事を覚えていった。酷暑の中、顔だけには汗をかかない俳優さんのプロ根性に感嘆したり、3時間以上のライブでも崩れないメイクを独自に編み出している女性アイドルたちから学んだり。卒業しても勉強勉強の毎日だった。
◆ ◆ ◆
小鳥遊事務所のタレントさんを担当することになったのは、師匠が社長と懇意にしていたからだ。最近は特に露出の多い、IDOLiSH7のヘアメイクを担当することが多い。今日もまた、新曲を初披露する音楽番組への生出演に向けて、ヘアメイクを進めていた。私の今日の担当は、七瀬陸くんと、四葉環くんだ。何度か担当させてもらっているので、お互いに気心は知れている。
「陸くん、今日なんだか顔色いいね」
「そうですか?ありがとうございます!」
「りっくんは昨日、久しぶりにライバルと電話できて気合い入ってるんだよ」
ライバル……?ライバルと電話で話せて、顔色が良くなるほど気合が入るなんて、そんなこともあるのか。
「環、余計なこと言わないで!
……今日の新曲初披露、楽しみにしてるって言ってもらえたんです」
「見てくれるんだ!やったな、りっくん」
「うん!」
七瀬陸くんの笑顔には、不思議な力があると思う。周りの人みんなを幸せにしてしまうような。アイドルは総じてそういう特性を持った人たちなのかもしれないけれど、陸くんの笑顔は特にそんなパワーを持っていると、私は思っている。
「じゃあ、見てくれる人のためにもカッコよくしなくちゃね!」
「はい!よろしくお願いします!」
「環くんは、今日どうしようか?ちょっとヘアアレンジしてみる?」
陸くんのベースメイクをしつつ、スマホをいじって順番待ちをしてくれている環くんに話しかける。環くんの髪は長めなので、アレンジしがいがある。そして、SNS上でも髪を少しアレンジした環くんは『オシャレ』『カッコいい』と評判がいいことを、私は知っている。
「うん!……じゃなくて、ハイ!お願いします!今回ちょっとダンス激しめのパートあるから、顔にかかんないようにしてほしい……です」
「承知しました!……前にも言ったけど、私に無理に敬語使わなくてもいいんだよ?」
「うーん、そう言ってもらえるのはありがたいけど……」
「壮五さんに言われてるもんね!」
「そうだけど、それだけじゃないっつーか……俺がちゃんとしたい!って思ってる、ので」
少し前から、環くんは私にも、明らかに慣れていない敬語を使うようになった。最初の頃は誰に対してもタメ口で、私としてはかわいらしいけれど、少しヒヤヒヤする場面もあった。(うちの師匠に対して、とか)でも今は、私も含めたスタッフ全員に対して、少したどたどしい時もありつつも敬語を使ってくれている。何か心境の変化があったのだろうか。個人的にはタメ口で話してくれるのも、身勝手ながら弟ができたみたいでかわいいなと思っていたので、少し残念な気持ちもある。
「私も敬語のほうが良いかな?気が付かなくてごめんなさい」
「いや!イエ、俺らのが年下なので、気にしないでください」
「そっか……ありがとう」
「なんでありがとう?」
「私は、IDOLiSH7のみんなと気軽にお話しさせてもらえるのが嬉しいからさ。だから、気遣ってくれてありがとう」
「へへ、なんか褒められてるみたいで俺もうれしー」
「褒めてるよ!」
環くんと私の会話をニコニコしながら見守ってくれていた様子の陸くんに、『仕上げするよー』と声をかける。すると陸くんは真顔に戻ってくれるので、ブラシで軽くパウダーをはたき、メイクをキープするミストで仕上げる。ヘアは軽く整えて、陸くんはあまり激しい振りがないことを確認し、それでもダンスで崩れないように固めておきたいところにだけスプレーをかければ完成だ。
「よし、陸くん今日もカッコいいよ!」
「ありがとうございます!」
ファンの皆さんより先に見てしまうのが少し申し訳なくなる、アイドル七瀬陸の完成だ。本当にキラキラしていて、眩しいくらい。でも、ものすごく元気を貰える。そして、そのパワーを受けて、陸くんたちアイドルはもっと輝いていくように、私には思える。
「そろそろ俺の番?ですか?」
「あ、うん!お待たせしました!リクエストある?」
自分でヘアメイクした陸くんを拝みそうになったところで、環くんに声をかけられ、ハッと我に帰った。感謝。
「こんな感じでまとめてもらいたくて……」
「お、写真あるんだ。助かる!」
「サイドは編み込みして、後ろはスッキリめでお願いします」
「ダンス激しめなら、しっかり固めたほうが良いかな?」
「はい!お願いします!」
髪に触れながら工程を考えている私に向けて、鏡越しに小さく会釈してくれる。環くんは元々カッコよくて少しかわいいところもある男の子だけれど、敬語を使って丁寧に対応してくれるようになった頃からか、格段に素敵になっている気がする。これからも楽しみだなあと内心思いつつ、ちょっとした雑談をさせてもらいながら、ヘアメイクを仕上げていく。
「おー、すげー!」
「わ、ありがとう」
「ほんと、いつも魔法みたいです!環、似合ってるよ!」
「りっくん、あんがと!俺もいつも思ってます。魔法かけてもらってるみてーだなって。ありがとうございます!」
「気に入っていただけたようで何よりです。こちらこそありがとね!」
鏡に映る環くんは、ピシッと決まっていてカッコいい。我ながら、良い出来だと思う。
「よし、スプレーもしたし、これで完成です!二人とも、新曲初披露頑張ってね!」
「「はい!」」
『コンコン』
息の合った二人の返事に続いて、軽快かつ心地良いノックの音が聞こえた。
ーーこの音とタイミングは多分、マネージャーの小鳥遊さんだ。
「小鳥遊です!今、入ってよろしいですか?」
「ハイ、どうぞ」
ーーやっぱり!私の施したヘアメイクを最終チェックしにきた師匠が返事をする。メイク室のやや重い扉を開けて、小鳥遊さんが入ってきた。
彼女と会えるのも、IDOLiSH7の現場に呼んでもらえた時の楽しみだ。割と年下だということが信じられないほどしっかりしていて、超多忙なIDOLiSH7のメンバーの手綱を握っている様子に、感動すら覚える。違う立場とはいえ同じ業界内、近い年代の裏方同士で尊敬できる人がいてくれて嬉しくなれる。
「小鳥遊さん!おはようございます!」
「おはようございます!今日もよろしくお願いいたします!」
「お会いできて嬉しいです」
「え!私もです!ありがとうございます」
年下のかわいい女の子(という目で見てしまうのもなんだか変だけど)からの純粋なデレ、嬉しい……!
「今日は陸さんと環さんをご担当くださったんですね。ありがとうございます」
「はい!」
「ん、OK」
「あ!ありがとうございます」
師匠のチェックを無事に通ったので、陸くんと環くんはヘアメイク完了だ。兄弟弟子が担当していた他のメンバーも、次々にOKが出されていく。とはいえ、衣装を身に着けた後やパフォーマンスの直前など、この後も度々メイク直しは発生するのだが。
「環さん、アレンジすごく似合ってます!」
「おー!あんがとマネージャー!俺もテンション上がってきた!」
「タマ、カッコよくしてもらったじゃん」
「だろー!これ、前にSNSで見てから気になってたやつ」
「環くん、すっごくカッコいい!編み込みで一見かわいらしいのに、クールさもあって……」
「そーちゃん、大げさ。でも、あんがと」
環くんのヘアアレンジが小鳥遊さんにもメンバーにも好評で、私は嬉しい。だけど、私が出来るのはここまで。この後、ヘアメイクを施されたIDOLiSH7がどんなパフォーマンスをして、どのように見てくださる方に受け止められるのか。それは、私にはどうにも出来ないことだ。今日の生放送を見た人たちから、どんな反応が返ってくるのか。それを見るまでは、気が抜けない。
◆ ◆ ◆
スタジオに入る時、私はまだ少しドキドキしてしまう。でも、この緊張感を失ったら終わりだ、とも思う。
今日もスタジオの扉は重そうで、太いドアストッパーが一生懸命開いた状態を保ってくれている。そして演者・スタジオスタッフ全員が中に入ったことが確認されると、静かに閉まる。
この中は、とてもキラキラしているけれど、ある意味では戦場だ。今日は生放送だから特に。コンマ刻みのスケジュールを実現させるために、数え切れないほどの人数のスタッフが自分に与えられた仕事を淡々とこなしていく。
次は、いよいよIDOLiSH7の出番。私は環くんのヘアセットが崩れていないことを確認し、陸くんの前髪をサッと整える。
『がんばって』
口パクでそう伝えると、二人から笑顔と頷きが返ってきた。
「次は、IDOLiSH7がTV初披露の新曲をパフォーマンスしてくださいます!曲はーー」
MCを務める女性アナウンサーに紹介され、スタジオ内にだけ少し聞こえる程度のクリック音の後、IDOLiSH7の新曲が流れ始める。もちろん、私も初めて聴く曲だ。
今日担当したのは陸くんと環くんだから、ついつい二人に目が行ってしまう。伸びやかな歌声を響かせる陸くん。今日、本当に絶好調だな。そして環くんは……間奏でバク転した!!成功して、近くにいた壮五くんとハイタッチ。私は、ヘアセットが本当に崩れていないか少し心配になる。けれど、その後も華麗に歌い踊る環くんの髪もメイクも問題なさそうで、ホッと胸を撫で下ろした。
「ありがとうございました!」
曲が終わり、センターの陸くんが代表で挨拶する。他の六人も会釈した。
この後は、少しだけトーク部分の出演がある。私は音の出ない拍手で陸くんと環くんを出迎え、ヘアメイクの直しの必要がないかチェックした。流石に環くんの前髪が少し乱れていたので、コームで整えた。
CMの合図が入り、スタジオ内の雰囲気が少し緩む。
「どうでした?」
「すごかった!陸くん、今日も本当に素敵だったよ」
「俺は俺は!?」
「環くん、バク転びっくりしたよ!カッコよかった!ヘアスタイルもこれにしてバッチリだったね!」
「ふふん。ありがとーございます!」
タイミングにもよるけれど、こうして直接すぐに感想を伝えられるのは、この業界内で働く特権だと思う。ありがたい。
CMが明ける合図があり、トークコーナーへの出演のために、陸くん環くんはセット内を移動する。最後に陸くんは会釈、環くんはピースをくれた。
◆ ◆ ◆
放送が終わり、再度重い扉が開かれたスタジオ内。ここまで来ると、流石に緊張感は溶けてくる。演者・スタッフ間で和気あいあいと話す声が響く中、小鳥遊さんがトントンと私の肩を叩いた。
「今日もお世話になりました!お疲れさまでした」
「小鳥遊さん!お疲れさまでした。IDOLiSH7の新曲、最高ですね」
「ありがとうございます!そうなんです、自信作です!」
小さくガッツポーズを作る小鳥遊さん。本当にかわいい……つい顔がニヤけてしまいそうになるのを頑張って我慢しながら、会話を続ける。
「環さんのヘアアレンジ、早速SNSで話題になってますよ!」
「え!本当ですか!?」
「見てください!」
小鳥遊さんがスマホの画面を見せてくれる。並んでいるのは、番組ハッシュタグとIDOLiSH7のハッシュタグを付けてSNSに投稿してくれている、ファンの皆さんのコメントたち。
『環のヘアアレなに、天才……』
『環くん、なんでバク転しても髪崩れないの!?魔法!?』
『環の担当ヘアメイクさんにお布施したい』
「うわあ、すっごく嬉しい……」
「今日もさすがのお仕事でした。ありがとうございました!」
「とんでもないです。こちらこそ、素敵な皆さんを担当させていただけて、ありがたい限りですよ」
「嬉しいお言葉、恐縮です!これからも、IDOLiSH7をよろしくお願いします!」
「もちろんです!まだまだ至らぬ点もあるかと思いますが、引き続きよろしくお願いします!」
二人揃ってペコペコし合った後に目も合い、なんだか笑ってしまった。
大変なことはたくさんあるけれど、やっぱり私はこの仕事が大好きだ。明日も明後日も、その先も頑張ろう。