G05 しあわせと同じだけの音

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 窓から差し込む陽の光が濃くなり、キッチンから食欲を誘う香りが漂い始める頃。
 誰かがつけたらしいテレビの音に紛れて、「ただいま」と声がした。覇気のないそれに違和感を覚え、昼間から休日を満喫していた大和は振り返る。同時に、閉ざされていた扉がそうっと開かれた。一拍ほど遅れて、いつも以上に顔を白くした壮五がリビングを覗く。
「おわ、顔色悪」
「え?」
 おかえりの言葉と共に帰宅者を迎える準備をしていた大和は、思わずぎょっと目を見開いた。挨拶だけしてそのまま自室へ逃げようとする壮五を呼び止め、一回ここに座りなさいと諭す。
「先に手洗いうがいを……」
「ちょっとぐらい後でいいって」
「でも、」
「おーい、なにやってんの?」
 二人がごちゃごちゃやっているのを聞いて、夕食の準備をしていた三月もキッチンから出てきた。帰ってきて早々揉めるな、と苦言を呈そうとしたようだ。しかし三月も、壮五の顔を見るなり大和と同じように眉をひそめる。そうして立ち続けている壮五の肩を押し、座るようにと促した。
「でも……」
 壮五は困ったように目尻を下げて抵抗していたけれど、元々、年上には逆らえない気質だ。脳内の厳しい上下関係に押し負けて、渋々ソファに腰を下ろす。
 けれどもその座り方も、ふっと力が抜けるみたいな落ち方だったからちょっとだけヒヤヒヤした。
「熱は?」
「あ、いえ、そういう感じではないので……」
 三月がそう尋ねると、壮五は小さく首を振る。前髪をかき上げるようにして額に触れられ、気まずげに揺れる瞳が逸らされた。
「腹痛くねぇ?」
「平気です」
「頭は?」
「大丈夫……」
 可能性をひとつひとつ潰していくように、三月はゆっくりと問いかけていく。
 俯いたままなお首を振る壮五は、不意に小さく笑ったかと思うと「三月さんの手、あたたかいですね」と目元を染めた。座って落ち着いたからか白く強ばっていた顔が色づき始めていて、安堵する。三月も大和と同じようなものらしく、頬をゆるめ、撫でるようにしながら手を離した。
「風邪じゃないなら寝不足? 今朝も早かったもんな」
「いや、あの……はい。情けないです……」
 うう、と唸って目を伏せる壮五に、三月はからりと笑ってみせる。「そんなことないって」と手を振り、しばらく休んでいるようにと言いつけた。
「なんかしてほしいことある? 食いたいもんとか」
 そうしてキッチンに戻りつつ、そう問いかける。横で会話を聞く大和は「今からできるものとか限られてそうだけど」と思ったものの、なにも言わない。必要があれば買い出しに出るぐらいの余裕はあるつもりだ。
 一方の壮五は三月の言葉にぽかんと目を開いた後、考え込むようにあごに手を当てる。そんなに気にしなくても、と思うほどに真剣な様子で。
 やがて、うっすらと頬を染めた。
「え、何その反応」
「いや、あの……」
 壮五は赤くなった顔を誤魔化すように、両手を頬に当てて俯く。眉を寄せて固く目を閉じ、けれどもまたちらりと瞳を覗かせた。二人の顔を順番に見やって、なにか言いたげに唇を震わせる。
「なに? なんでも言ってみな」
 だから促してみるものの、心の声はなかなか音にならない。
「お……」
「お?」
「……おかえりって、……言ってほしい、です……」
 それでも辛抱強く待っていれば、ようやく口が開かれた。ほとんど吐息だけのような、ともすれば適当につけているテレビの音にすらかき消されそうな声で、そうねだる。そうしてまるで、咎められるのを待つかのように視線を逸らした。
「言っ……てなかったな! おかえり」
 思わず口から言葉が零れ、ちょうどいい位置にあった頭に手が伸びる。
「……ッおかえり!」
 わっと撫でていると、三月も飛びつくような勢いでリビングへ戻ってきた。壮五の髪をわしゃわしゃとかき混ぜて、「今日も頑張ったな」と笑みを浮かべる。
「わ、わ……」
 されるがまま二つの手に揺さぶられて、丸い頭がぐらぐらと揺れる。ちょっとやりすぎた、と動きを止めれば、髪を乱された壮五がおかしそうに声を上げて笑った。ふにゃりと下がった眉を見て、壮五の顔を覗き込んでいた三月もにっこり微笑む。
 笑顔の多いやつではあるけれど、心の底から笑っている時には眉が下がるらしいと、そう気づいたのはいつだっただろうか。乱れた髪を元通りに整えてやりながら、大和はぼんやりと考えた。出会った頃からこの顔で笑っていたわけではない、気がする。
 ただいま、と照れたように再び紡がれた言葉と、くしゃりと細められた瞳。そこにもう一度重なる、「おかえり」の声。
 なんとなくでついているテレビの音を織りまぜて、寮のリビングは明るい笑い声で満ちていた。

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