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デビューしてしばらく経ったある日、ミツがSNSでちょっと叩かれた。
理由はくだらないことだ。ミツがとあるバラエティ番組に出演した際、カメラの角度の問題でミツと共演者の女優がやたら密着しているように見えた――らしい。で、その女優のファンが切り抜きをSNSにあげてミツを悪く言って、拡散されてって感じ。
本当にくだらない。相手にしていられない。
きっとこれから、こんなことは山ほどあるだろう。慣れていかなければ。
そうは思うものの、俺たちはまだデビューして数ヶ月で、こういうときのメンタルの保ち方をまだわかっていなかった。
そのプチトラブルが起きた翌朝、珍しくミツが起きてこなかった。
今日は俺とミツ、ナギの三人で昼から撮影がある。まだ焦る時間ではないもののちょっと心配になった俺はミツの部屋へと向かった。
「ミツー?」
ドアをノックしても返事はない。
「ミツ? 開けるぞ?」
まだ寝ているのかと思いそっとドアを開くと、目の前に人影が現れてぎょっとした。ドアのすぐ向こう側にミツが立っていたのだ。
「うわっ! びっくりしたー……。ミツ、おはよ」
「……大和さん」
寝巻き替わりのジャージを着たミツは、のろのろと顔をあげる。いかにも迷子みたいな表情をしていた。いつもの元気なミツらしくない。
「ミツ、」
俺はどう言葉をかけていいかわからないままただ名前を呼んだ。そして少し沈黙が訪れる。
いくら同グループのメンバーとはいえ、知り合ってからまだ数ヶ月。これは世間的には長いのか短いのか。他人との関係を深掘りしてきたわけではない俺にとっては、メンバーとの距離感にはまだ悩むことが多かった。
つまり今、ミツとどう接すればいいかわからない。
……もし逆の立場ならそっとしておいてほしい。そう考えてとりあえずいったん部屋を出ようと背を向けたところ、ミツが俺を呼び止めた。
「大和さん」
上擦ったミツの声。反射的に振り返る。
「オレ、怖いよ、大和さん……」
ミツは力を失ったようにその場でしゃがみこむ。立てた膝の上に顔を埋めて、「怖いよ」とミツは再度こぼした。
「わかってる! これからこのくらいのことたくさん起きる。たぶんもっとひどいことも言われる。でも、でもオレ――!」
ここで俺が言葉を尽くしてミツを慰めたら、ミツはきっと立ち直るだろう。ミツは強い。
でもふと、俺でいいのだろうかと疑問に思った。
ミツを傷つけたのはメンバーではなく、どこかの視聴者だ。じゃあミツを助けるのはファンの存在であるべきなのでは?
ミツはうなだれたまま弱々しく口にする。
「……このドアを出たらまた元気いっぱいな和泉三月やらなきゃいけないんだって思ったら、怖くてたまんねぇよ」
「……ミツ」
だからドアの前で立ち尽くしていたのか。納得した。
俺はミツの前に同様にしゃがみこみ、しかし慰めるための言葉をもたず、ミツの頭のてっぺんをただ眺めた。ミツの性格を表すかのように、アホ毛が奔放に跳ねたオレンジ色の頭。
そしてなんとなく視線をドアに向ける。しゃがんだ状態で下から眺めるドアは、たかが部屋の扉に過ぎないのにまるで聳え立つようにそこにあった。俺たちを拒絶してるみたいに。
……このドアが怖いのかよ、ミツ。なんともねぇよ。そう思うけれど、今どれだけ正論で慰めたってどうにもならないのもわかっていた。
俺はどうしたものかと考え、そして思い出した。
数日前ミツが超喜んでたこと。ミツに初めて届いた、ファンレター。
「ミツ、おまえさん、ちょっと前にファンの子から手紙受け取ってただろ」
「え? うん」
俺の唐突な話題の転換に、ミツは顔をあげた。戸惑った視線をこちらに向けながらも頷く。
「そのファンレターどこ?」
「え? なんで?」
「いいから。ちょっとテープもってくるから、用意しておきなさい」
「は? テープ?」
俺はいったんミツの部屋を出て、リビングの棚からマスキングテープを持ち出すと、すぐさま戻った。
ミツは混乱しつつもおとなしくファンレターを手元に用意して待っていた。
「そのファンレター、ここに貼っちまおうぜ」
ミツの部屋のドアの内側。ミツが立つとちょうど視線がいくあたりを指で差す。
「そしたらさ、仕事いくとき絶対目に入るじゃん。ミツを応援してくれてる子がいること忘れねぇじゃん。適当なこと言っておまえさんを叩く奴より、ファンの子の言葉のほうが信じられるだろ?」
「そ……それは、もちろん」
「だろ。じゃ、貼っちまおうぜ」
俺がマスキングテープを差し出してもミツはまだ戸惑った様子なので、俺はミツの許可をもらってファンレターを受け取り、封筒から取り出した便箋をドアにテープで貼り付けた。
「ほら、ミツ。こっち立ってみなさい」
と、ミツを促してドアの目前に立たせる。
「ドア開くの、これで怖くねぇだろ? ちゃんとおまえさんのファンが見守ってくれてるよ」
ミツはドアに貼られたファンレターをちょっと呆然とした様子で見つめた。
俺はファンレターは決して読んでいませんよっていうアピールのため、手元に残った封筒に視線を落とす。オレンジ色の封筒に書かれた、丸っこいオレンジの差出人の名前。
――どこかにいるミツのファンに祈った。どうかミツを、これからも応援してください。
「………………うん」
長い沈黙の末、ミツは小さく頷いた。小さいけれど、覚悟が決まった声で。
「……っし! もう……もう、大丈夫」
「おう」
「オレにはファンがいるもん!」
ミツの表情から痛みが消え、きらっきらに変化していく。魔法みたいな鮮やかさで。
アイドルになるのが長年の夢だったミツには、ファンの応援が何よりも支えになるのだろう。俺はほっとして、励ますようにミツの背中を軽く叩く。
これからきっと、もっともっと苦しいことやつらいことが待っている。
でも俺たちには、ファンがいる。
あれから十年。
IDOLiSH7デビュー十周年を記念した特番の収録が行われていた。
この十年での印象的な出来事にまつわるトークで、ミツが「大和さんがファンレターをドアに貼ってくれたことがあって」と言い出し、俺はドキッとする。今から起きるサプライズがバレたのではないかと一瞬勘繰ったのだ。どうやらそうではないようだった。
エピソードを聞いたメンバーたちが騒ぎ出す。
「大和さんかっこいい〜!」
「七瀬さんはいつもそれですね」
「みっきー、ヤマさんに励まされてがんばれたってことじゃん!」
タマのまっすぐな発言に、ミツがあははと大声で笑う。
「そうだな! ファンレターはもちろんだけど、大和さんがいたからがんばれたんだ!」
ミツの笑顔を見ながら、俺は「さて」と立ち上がった。
「ここでミツに会いたいファンの子が来てくれています!」
「お、ここで!?」
ミツが期待に目を輝かせる。
実はこの特番、公募で選ばれたファンとメンバーが対面するという企画があるのだ。七人それぞれのファンを一名ずつ招待。
公募の際に添付された志望動機はどれもこれも熱心なもので、番組のスタッフはどう選ぶか決めあぐねていたようだった。そのとき俺は覚えのある名前を偶然目にし、すぐさま指名させてもらった。彼女にこそミツに会ってもらいたかった。
さてさて、感動の対面になるといいのだけど。
「では登場してもらうか。ミツと会いたいたくさんのファンの中から選ばれた、夏海ちゃんです!」
「……夏海ちゃん?」
ミツがちょっと引っかかったようにファンの名前を復唱する。
スタジオの片隅にあった仰々しいドアが開くと、そこには俺やミツより少し年下くらいの女性が立っていた。……すでに泣いていた。
「もう泣いてんじゃん!」
俺が思わず突っ込むと、夏海ちゃんは手の甲であふれる涙を拭いながら言う。
「だって……だって、十年好きだったんです。十年ずっと応援してきました。三月くん……!」
「十年……」
ミツは夏海ちゃんを凝視し、もう一度「夏海って……」と呟いた。
「ミツ。そうだよ」
俺が横から声をかけてやると、ミツは飛び上がって驚き、開いたドアの間に立ったままの夏海ちゃんに小走りに近づく。そして大声を出した。
「夏海ちゃん!? もしかして、十年前、オレらがデビューしてすぐの頃にファンレターくれた!? オレンジ色の便箋で!」
「え? あ、はい。送りました」
ミツの勢いに押された夏海ちゃんは泣き止んで、それから小さく笑う。
「覚えててくれたんですか、三月くん。さすがファンを大事にしてくれるアイドル。そういうところも好きです」
夏海ちゃんはほんっとーに好き、と確認するように再度口にし、そしてまたぼろろっと大粒の涙をこぼした。
「大好き。三月くん」
「……あのさ、今のエピソード。大和さんがオレを元気付けるためにファンレターをドアに貼ってくれたってエピソード、聞いてた?」
ミツの質問に夏海ちゃんは頷く。どうやら夏海ちゃんはスタジオのすぐ裏で待機しつつ、俺たちのトークを聞いてくれていたようだ。
ミツは、夏海ちゃんだよ、と詰め寄るような勢いで口にした。
「今のエピソードのファンレター、夏海ちゃんの手紙なんだ。あれからずっとドアに貼ってた。ぼろぼろになってきちゃって、今はドアからはずしちゃったけど、それでも大事にとってある」
「……私のファンレターを?」
「うん。ずっとオレのファンでいてくれてありがとう」
ミツががばっと頭を下げる。いかにも体育会系な仕草なので夏海ちゃんはぎょっと驚き、それから「頭あげてください」と慌てた。
夏海ちゃんの言葉に従って顔をあげたミツは、――泣いていた。夏海ちゃんに負けないくらいの勢いで。
おいおいと泣き始めるので、俺は「ミツミツ、泣きすぎ」と言わざるを得ない。ミツが泣き虫なんてファンのみんなが知ってるだろうからいいんだけれど。
ミツは肘で目元を乱暴に拭いながら、っひっひ、としゃくりあげる。
「オレ、アイドルになって、よがっだ……!」
ミツの涙ながらの発言に、夏海ちゃんは元気よく頷いた。そして夏海ちゃんまでもがまた泣き出した。涙ながらに夏海ちゃんが言う。
「アイドルになってくれてありがとう!」
夏海ちゃんがまっすぐミツを見つめる。泣き過ぎて化粧がよれよれで、アイラインが滲んで目尻が黒くなっていたけれど、それでも夏海ちゃんのまなざしは凛としていた。誰かをまっすぐに好きでいるって、こんなにかっこいいことなんだな。俺が素直にそう考えられるようになったのも、俺がIDOLiSH7の一員として大事なものを抱えてきたからだ。
「三月くん。これからもアイドルでいてください」
「おう!」
ミツが笑う。世界中のひまわりを掻き集めたかのような笑顔だ。その笑顔をスタジオのカメラがすかさず抜く。
「これからもアイドルがんばります!!」
ミツが両手を突き上げて宣言した。スタジオのぎんぎらに輝くライトが、ミツの目尻にたまった涙を輝かせる。
それでもミツの笑顔はアイドルのものだった。さんざん泣いて、目尻が真っ赤なのに、間違いなくアイドルの笑顔なのだった。