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「やぁ、野良猫くん」
「その呼び方、止めてもらえませんか」
夕暮れ時、局の廊下。自販機とソファがある一角で休憩していた大和は、そこに現れた人影に顔を顰めた。
「合ってるだろう?」
「役の話ですよ」
適当に小銭を入れればいくつものランプが青く灯る。あからさまに顔に「帰れ」と書く大和を無視して、コーヒー缶を手にした千は彼の隣に腰を下ろした。千から逃げるように、大和が身じろいで少し右にずれる。
「大和くん自身も似たようなものじゃない」
「……そんなことないですよ」
「自覚はあるみたいだね」
「まぁ……つーか、あんたに言われたくないです」
とある事件により人間不信に陥った青年。様々な場所を転々としながら、特定の居場所を持つことなく風に誘われるようにふらりと現れ、風に攫われるようにふわりと消えていく。挨拶を交わす相手もおらず、帰る場所もない。気まぐれな彼のことを周囲の人々は野良猫と呼んだ。
「僕? それは大和くんと似てるってことかな」
「絶対嫌だ」
だけど、そんな野良猫にもやがて大切なものができる。彼は夢中になれる世界を見つけた。未知の世界への好奇心を見つけた。離れがたい居場所を見つけた。だから彼は、野良を捨てる――そんな物語。
「まあでも、確かに僕もそうだったね」
「家はただの棲み処でしかなくて、留まりたいと思える場所もない。のらりくらりと生きてた。俺も、あんたも」
「家の扉を開けることに何の感慨もなかったよ。段ボールに入る野良猫と同じだった。モモと一緒に暮らし始めるまではね」
「俺もですよ。IDOLiSH7が居場所になるまで家に帰ることが楽しみ、なんて感情知らなかった」
「変わったんだね」
「止めてくださいその子供見守るみたいな目」
多くを語らなくても互いのことはよく分かっていた。Re:valeの過去も、二階堂大和の過去も。その心情を思い測るのは難しいことではなく、共感するのは容易いことだった。それでも感傷に浸るほどの哀愁はない。通知音を立てたスマホを確認した大和は、缶を傾ける千を置いてソファから立ち上がった。
「もう行くのかい?」
「うちの可愛い最年少たちを迎えに行かないといけないんで」
「ふふ。立派にお兄さんしてるじゃない。……血は繋がっていなくとも、家族よりも大切な存在、か」
「いちいち言葉にしなくていいです。千さんも早く帰ってあげてくださいよ。百さん待ってるんでしょ」
千に背中を向けたままそれだけ言い残すと、大和はさっさと歩き出した。その背中を見送りながら千は小さく笑う。仲間だけじゃない、先輩や後輩とも上手くやっているようだ。あの頃、棲み処に戻っていくだけの野良猫だった彼の背中は、いつの間にか多くのものを背負っていた。
「さて、僕も帰ろうかな。今ならいい曲が書けそうだ」