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真冬だと言うのに、じわり、と握りこぶしに手汗が滲んだ。もうここに着いてから、十分は経っただろうか。一月の風は冷たい。これ以上、ここで立ち止まっていたら風邪をひいてしまうかもしれないということは理解している。陸くんのいる小鳥遊寮に風邪を持ち込むことが、どんなによくないことかも。
僕の目の前に立ちはだかっているのは、重い、重い木の門扉だ。今の僕にとってこの門は、本当の重さより遥かに重くて厚い。気合なしには、一ミリたりとも動かせないくらいに。
今僕は、僕の実家――逢坂家の門の前に立っていた。
僕がこの場所に足を運ぶことになったのは、半月ほど前に届いた、母からの手紙がきっかけだった。
母から手紙が送られてくるなんて、僕が実家を飛び出してから初めてのことだった。実家に寄り付きたくない一番の要因は父だったけれど、だからと言って母とは良好な関係を築けているかと問われれば、否と答えるしかない。
そんな母からの、突然の手紙。思い当たる要件と言えば、去年末の「BLACK OR WHITE」のことくらいだろうか。まさか来ないだろうという気持ち半分で用意した二つの招待席は、どちらも埋まっていたと万理さんが教えてくれた。そのことに関して、年始早々にお礼の手紙を僕から送っておいたのだけれど、まさか返信があるとは思っていなかった。
あのステージに、母はどう思ったのだろう。足を運んでくれたのにも関わらず、もし両親を少しでも感動させることができていなかったのなら、僕と両親の関係はこれから先も平行線をたどる可能性が高い。でももし、少しでも僕たちの音楽が、あのひとたちを感動させられていたのなら——、と僕は祈るような気持ちで手紙の封を切った。
結果から言えば、手紙の中には特に肯定の言葉も、否定の言葉も綴られていなかった。書かれていたのは、時候の挨拶とブラホワ招待への感謝、それから最後に「話したいから一度実家に顔を出してほしい」という一言。
その一言を読んだ瞬間、どくん、と心臓が大きく震えた。これは、一体どういう意味なのだろうか。
この手紙が大きな一歩だと信じたい自分と、これまで長らく否定され続けてきた自分が葛藤している。そうだ、前回環くんと実家を訪ねた時は、僕の希望的観測は父によって木っ端微塵になってしまったじゃないか。でももしかしたら、今回は違うかもしれない。そうであってほしい。
ああでも、環くんは嫌な気持ちになるだろうか。だけどきっと、嫌そうな顔をしながら、僕が本当に行きたいならと言ってくれるような気もする。
僕は一旦期待も不安もすべてを無視して、IDOLiSH7みんながそろった夕食の場で、母の手紙について話した。
「——というわけで、一度実家に行ってこようかと思っています」
みんなの反応は様々だった。警戒するように眉間にしわを寄せたり、応援するように拳を握ってくれたり。でも、不安そうではありながら反対の言葉は出なかった。ただ一人、環くんだけが俯いて沈黙を貫いていた。
五人から背中を押す言葉を貰うと、しばらく僕たちの間には沈黙が広がった。みんながじっと、環くんが言葉を発するのを待っていた。環くんが言葉を発したのは、それから一分は経ってからのことだっただろうか。
「そーちゃんは、本当に会いに行きたいんだよな? 来てもらったから、とかじゃなくて行きたいからいくんだよな?」
環くんは俯いたままで、表情が見えない。僕は、環くんには見えていないと分かっていながら力強く頷いた。
「うん。今、母さんがどう思っているのか、やっぱり知りたくて」
僕がそう言うと、環くんははあああ、と深く息を吐いた。ようやく顔をあげた環くんの顔には、大きく「行ってほしくない」と書かれていたけれど、それが僕を案じる気持ちから来ていることは、今の僕なら分かった。
「分かった。じゃあ、行く日が決まったら絶対教えて。もしそーちゃんが帰って来なかったら、殴り込みに行くから」
その言葉が本気だと、瞳でひしひしと伝えてくる環くんに、僕はありがとうと笑った。
そんな経緯を経て、僕は今実家の門扉の前に立っていた。環くんにああ言ったのにも関わらず、ここまで来て怖気づいている自分の頬を、ばちんと叩いた。目をつぶって、僕を心配しながらも応援してくれたみんなの顔を思い返す。それから、ブラホワで、誰かまでは見えなかったものの確かに埋まっていた、あの招待席のことを。
平行線だったはずの僕らが、少しでも交わる未来を願いながら、僕は重い重い扉に手をかけた。