C05 do or を越えて

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side.Y
 扉を開けるのは、いつからかずっと憂鬱だった。家のは特に重いし、めちゃくちゃ大仰な音が鳴るし。――それに扉の先に待っているものに、無性にイライラしてしまうから。
「しっ、坊ちゃんが帰ってきました」
「おい、あの子どもを怒らせるなよ。あれは千葉さんの――」
「あのお子を懐柔できれば俺たちにもチャンスがあるはずなんだ」
 俺が扉を開いて中に入った瞬間に顔に貼り付く嘘っぽい笑顔。猫なで声。饒舌になる人、静まり返る人。その全員に共通する、ねめつくような視線。
「お帰りなさい。今日も学校楽しかった?」
「……まぁ」
「こんにちは。君が大和くんだね」
「……どうも」
「何か欲しいものとか好きなものはあるかな。よかったら」
「大丈夫です」
 返事もそこそこに自分の部屋へ引っ込むと、すぐに会話が再開される。
「それ、まさかあの人には伝えてないでしょうね。あの子にも――」
「おい、どうにかして好みでもなんでももう一回聞き出してこいよ。俺たちの金づるになるかもしれないんだぞ」
「なんだ、愛想悪いな。父親譲りか」
「顔もそっくりだしな。立派な二世になるだろうよ」

「……全部聞こえてんだよ」
 扉を閉じても、耳をふさいでも。たくさんの言葉が脳内をこだまする。
 あぁもう全部、全部、面倒くさい。全部、全部、くそくらえだ。

side.S
 扉を開ける時は、いつだって戦闘に臨む心持ちだった。
 今から自分が足を踏み入れる場所は、隙を見せればその時点で負けの場所。選択を間違えるな。相手の顔色を伺え。あくまで紳士的に、でも譲らず、その場を支配すべし。
「この度のご配慮、本当に感謝いたします」
 そして、頭を下げた相手のことは、忘れない。それはたとえ、身内であっても同じことだった。
「失礼しま」
「さっきのあの受け答えはなんだ? あそこで引かなければ、こちらが主導権を握れたのに」
「……申し訳ありません。あれ以上踏み込むと向こうが機嫌を損ねるのではないかと思い」
「馬鹿らしい。どう考えたってうちの方があそこより格上だ。高圧的にいってもなんら問題はない」「ですが」
「前に教えたことを忘れたのか?」
「っ……」
「はぁ……。やはり音楽などに現を抜かしているからいざという時に選択を誤るんだ。その時間も勉強に充てればこんなことには。そんなんだから聡も――」
 やめろ。叔父さんを悪く言うな。僕の判断ミスはシンプルに自分のミスで、間違っても音楽のせいなんかじゃ決してない。
 喉がぐっと詰まって、呼吸が乱れる。……もうこの家には、いられない。
(怖い、でも)
 家を飛び出したあの時だって、解放感は一瞬で。音を立てて開いた外の世界への入り口は、厳しい現実との戦いの始まりの音のように、僕には重く聞こえていた。

◇◇
「どうしたんですか、大和さん?」
「……え? あ、あぁいや。ちょっと、考え事」
 寮の鍵を鍵穴に差し込もうとしたところで、どうやら俺はしばらく止まっていたらしい。特にきっかけがあったわけでもないけれど、昔のことを思い出してしまっていた。目の前のソウは、少し心配そうな顔をしながらこちらを見ている。
「大和さんの表情を見て思い出したんですけど。実は僕、扉を開けるのってちょっと緊張するんです」
「……ソウも?」
「え? 大和さんもですか?」
「うん。まぁ、過去のあれそれでな。緊張っていうよりはなんつーかこう、身構えるっていうか」
「分かります、僕もです」
 手中にある、ビールと虹という我ながらよく分からない組み合わせのキーホルダーが付いた鍵を弄んで、俺は苦笑した。
「まぁでも、今はもうほぼそんなこと無いし。この扉は大丈夫だよな」
「……えぇ。ここには、幸せしかないですから」
 気付いたら、ここが第二の家どころかこの世で一番大事な家になっていた。いっぱい泣いて、怒って、笑って。むしろ扉を開くのが待ち遠しくなるような、たくさんの思い出が詰まったそんな場所に。
「あれ、おっさんに壮五?」
「え?」
「ん?」
 どこか感傷に浸っていると、俺たちの後ろから高く特徴的な声がする。振り向くと、そこにはいつの間にかミツが立っていた。
「三月さん。どこか出かけていたんですか?」
「おー。買い出し帰り。オレが明日から地方ロケで寮いないから、行くまでに色々作り置きしたくてさ。持てるだけ買ってきた」
 がさりと音を立てて、ミツが両手のマイバッグを掲げる。
「それにしたって多過ぎないか? 誰か呼んだら荷物持つだけでも行ったんじゃねぇの?」
「留守番組にも言われたけど、オレが良いって断ったんだよ。オレだって別に最初からこんな買う予定じゃなかったんだって! でもチラシに載ってなかった鶏肉と葉物野菜がめちゃくちゃ安くてさ……気づいたらこうなってたんだよ」
 けらけらと笑うその姿に、俺も眉を下げる。
「はぁ、分かった分かった。今開けるからおまえさんから入りな。ソウは半分バッグ持ったげて」
「はい」
 今度こそ迷いなく、鍵穴に鍵を差し入れてくるりと回す。かちゃん、と解錠の音がした瞬間に、くぐもった声が中から聞こえた。
「あ、ちょうど鍵の音した! 三月じゃない?」
「あのですね、両手が塞がっていて鍵を開けられないだろうから肘で押してインターホンする、と兄さんは言っていたでしょう。どうして鍵が開くんですか」
「あ。てことは、『仕事終わったから今から帰るー』ってみっきーより先に連絡来た、ヤマさんとそーちゃんが先に帰ってきたってこと?」
「Oh, しかしミツキのお手伝いをと思ってもう我々は玄関まで来てしまいました」
「ねぇねぇ、じゃあこのまま二人をお迎えしようよ! ハグとかで!」
「お、良いじゃん! どっきりサプラーイズ!」
「Nice ideaですリク!」
「え、これ私もやるんですか……?」

「……」
「……」
 俺とソウは黙って顔を見合わせる。
「全部聞こえてんだよなぁ……」
 この寮の扉こんなに薄かったっけ、なんて思いながら後ろを見ると、案の定にやにやしながらミツはこちらを見ていた。
「気持ちはありがたいけど、先頭はお二人に譲らせてもらおっかな~。ほらさっさと開けなよ大和さん、壮五」
「えぇ……」
 もう一度ソウを見ると、似たような困り眉をしながらも、ソウは笑っていた。
「……はぁ。分かったよ。ソウ、一緒にせーので開けようぜ。二人がかりなら、なんとか四人分の突撃にも耐えられるだろ」
「ちょっと怖いな……でも、頑張ります」
「ダメだったときはオレが受け止めてやるからよ!」
「はは、三月さんイケメンでいらっしゃる……。よし。じゃあ開けるぞソウ」
「はい」
「せーの!」

 扉を開くのが楽しみになったのは、いつからだろう。この場所は、そしてこのメンバーは。いつだって優しくあたたかに、誰もを迎え入れてくれる。屈託のない笑顔を見せながら。ありのままの僕のことを、音楽が好きな僕のことを、受け入れてくれる。
 昔の自分に会うことができたら、きっと僕はこう言うだろう。
「扉を開けることを恐れないで。時間はかかるかもしれないけれど、そこはきっと、幸せに繋がるものに変わるから」

「おかえりー!」
「はは、ただいま」
「ただいま帰りました」
 ぐっと二人で力を合わせて開いたその先、想像よりソフトな帰宅のハグを受けて。僕と大和さんは、顔を見合わせて笑いあった。

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