B05 死ぬまで奏でて

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「……重い」
これまでに何度触れたかわからない扉を必死に押しながら文句をつける苛立った横顔は整いすぎていて、まるで作り物のようだ。色素の薄い髪色も、目元のほくろも、あまりに出来過ぎている。それに加えて音楽の才能まで与えられて、神様ってやつは不公平だと吐き捨ててやりたくなるけれど、俺だって相方としてこいつと出会えたんだから完全に見放されているわけじゃない。
本当に重く感じているようで腕を震わせている姿に、まあこいつは弦を押さえる力さえあれば生きていけるだろうと背後からその手の数センチメートル上を押して扉を開けてやると、そいつはぱっと手を離して重低音の中をまっすぐ歩いて行った。
「非力すぎるだろ」
「ねえ、ドリンク代500円ってぼったくりでしょ。それだけあればあそこの喫茶店で3時間は打ち合わせできる」
「それで経営できてるんだよ。千、酒は頼むな。あと、他の客に喧嘩売るな」
「万って僕の母親だったの? あ、全然入ってない」
「俺らのときの客入りと変わらないだろ」
何万人ものバンドマンが夢を見て、大半が夢破れて去っていく、キャパ600人ほどのライブハウス。俺たちが数年後にどうなっているかは、それこそ、不公平でおなじみの神のみぞ知るといったところか。
千がしぶしぶ頼んだ2杯の烏龍茶のうち1杯を受け取って、最後方の目立たない位置を並んで陣取る。広いようで狭い若手の邦ロック界隈では、千がトラブルを起こした相手と鉢合わせるのも珍しくない。

「意味がわからない。なんで客入らないの、あのバンド。最高。1万払ってもよかった」
「ドリンク代に文句言ってたのは誰だよ。音楽には素直だな」
今夜のバンドはどうやら千のお眼鏡にかなったようで、ライブの中盤からライブハウスを出た直後の現在まで興奮がさめないようだ。まあ、俺も、なんでこの実力でこんな小さなところでやってるんだよと思ったわけだけれど。
「このあと万のところ行く。作る。というか、できた。カッティング、フォール、メロコア、あと、」
「単語で話すな。カッティングとフォールはどこに入れるんだよ」
「メロディもできた。早く」
「はいはい」

千のハミングが街の片隅で小さく響く。生まれたての音楽は、1時間後には俺の自宅、来週末にはスタジオ、来月にはステージ上と、様々な場所で育ち、形を変えて、やがてライブハウスに収まらないほど大きくなるだろう。そうなれば、あの重い扉も閉まらなくなるかもしれない。
なあ、俺たち、死ぬまで奏でていようよ。音楽から離れたら、お前はいよいよ神様に見限られて、俺はお前に見捨てられて、他人が作った耳障りな音楽が鳴り続ける世界で、2人とも、いつまでも、何もかも、未完成のまま、お前が付けてくれた名前も、薄れて、やがて、消える。

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