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「一織、『二十の扉』って知ってる?」
七瀬さんの脈絡もない問いかけに、私は課題を解く手を止めた。
収録中の番組で機材トラブルがあり、楽屋待機となってしばし。隙間時間で学校の課題を進めることにした私の隣で、七瀬さんは文庫本を開いていたのだが、どうやら読み終わってしまったようだ。その証拠に、彼がめくっていた本は机の上に閉じられている。
「知っていますよ。『はい』か『いいえ』で答えられる質問を重ねて、二十回以内に出題者が思い浮かべている言葉を当てるゲームでしょう」
「それそれ! いまやってみていい?」
「つまりお暇なんですね」
「うん!」
「……まあ、いいですよ」
数秒だけ考えて、イエスの答えを返す。他にもメンバーがいるならともかく、今日は七瀬さんと私の二人での仕事だ。暇を持て余した七瀬さんを放置して何かトラブルを起こされるよりは、私が相手をした方がいいだろう。
「宿題大丈夫だった?」
「誘ってから聞かないでください。今日出されたばかりで提出まで日数がありますし、問題ありませんよ」
「欠席続くとドサッと来るよな~。環も同じくらい?」
「四葉さんは昨日から復帰でしたから、先に受け取っているはずですね。進めている気配はありませんが」
「あはは。環いっつも溜め込むもんなあ」
会話をしながら勉強道具一式を鞄にしまう。七瀬さんがわくわく、いそいそというオノマトペを貼り付けた顔で椅子の向きを変えたので、私も彼に向き合うように椅子をずらした。
「じゃあ、最初はオレが出題者ね」
「わかりました。もう質問してもいいんですか?」
「あっ、待って待って! えーっと……うーん……よし! いいよ!『あなたは○○ですか?』で聞いてね」
「ああ、その方式なんですね。では……あなたは生き物ですか」
「はい!」
生き物、と脳に書き付ける。それにしても楽しそうだ。他愛ないゲームでも、いつでも全力で楽しそうなのが、七瀬陸という人物なのだけれど。
さて、生き物。
「あなたの大きさは……そうですね、この手に乗るサイズですか」
手の平を上にした両手を揃えて差し出すと、七瀬さんはこくこくと頷く。
「はい」
「…………。可愛らしく、いえつまり世間一般的に可愛らしいと評される声で鳴きますか」
「うん!」
「わかりました。あなたはきなこです」
確信を持って回答を口にすると、七瀬さんは大きな瞳をまんまるにした。
「正解~! えっ、なんでわかったの」
「お題を即決していましたから、身近な存在だろうと思って。あとあなた、鳴き声について聞いたときに『みゅみゅっ』て言いかけてましたよ」
「うそぉ」
「口がそう動いてました」
小鳥遊事務所の飼いうさぎ、きなこの、小動物特有の愛らしさのある――とはいえうさぎとしては少々不可思議な――鳴き声を、この人は気に入ってよく真似している。きなことして答えていたこともあり、私の問いに、つい癖が出てしまったのだろう。反射的に唇を尖らせる仕草が最終的な決め手になった。そう指摘すると、彼は今度はまた違う角度で唇を尖らせる。
「ええー、そういうとこ見るのズルじゃない?」
「勝手にボロを出したのはそちらでしょう。それに、このゲームでは回答者の態度も重要な推理要素になるんですよ。さて、まだやります?」
「あたりまえじゃん! 次は一織が出題者な」
「わかりました。では……はい、決めました。質問していいですよ」
「早い! ってことは、一織がさっき言ってたみたいに、身近なもの?」
「それをひとつめの質問にしますか?」
「待って待って! じゃあね……」
……そんな風に交互に問題を出し合って、何題目か。
私が出題者になった番で、ふとささやかな悪戯心が芽生えた。いや、魔が差した、と言うべきか。
「――決めました。どうぞ」
「よし! じゃあねえ……あなたは食べ物ですか」
「いいえ」
「あなたは鞄に入りますか」
「いいえ」
「うーん。じゃあ、あなたは人ですか?」
七瀬さんの質問は相変わらず散漫で、過去のパターンからの学習の気配がないが、時折ピタリと寄せてくるのが憎らしいところだ。内心ヒヤリとしつつ、私は首を縦に振る。
「はい」
「人かあ! わあ、誰だろ。オレ、あなたと会ったことありますか?」
「……いいえ」
「ないんだ~! 会ってない人、会ってない人、うーん……。オレより年上ですか?」
「いいえ」
「ってことは年下!? ええー、難しくない? オレが答えられない問題にしてないよな」
「まさか。回答不可能な問題をだすような不正はしません」
「だよねえ。うーん……会ったことなくて、年下で、オレが答えられて……」
「質問をどうぞ。あと十五問ありますよ」
「わかってるって。じゃあ、えっと、そうだ、一織! 一織はあなたに会ったことありますか?」
「はい」
「あるんだ! え、じゃあじゃあ、昨日! 昨日会った?」
あと十五問あるとは言ったけれど、そんな調子で続けて、終わるわけないでしょう――と指摘するところだ。普通なら。
本当にこの人ときたら。
「……はい」
「ええ~!!」
両手で頭を抱えて叫んだ七瀬さんが、百面相をしながら昨日、きのう~と繰り返している。大変に愛らしい。私は目元にぐっと力を入れて、表情が崩れるのをこらえた。
「年下ってことは、学校の子? 一織の学校の子でオレが会ったことがなくってオレの知ってる人っているっけ? ――あれ。待って、昨日は一織、学校……」
「そうですね」
なかば独り言めいたセリフに澄まし顔で応じてやる。七瀬さんはぱちぱちと瞬きをしながら私をじっと見つめた。
紅い、大きな瞳に、私の顔が映っている。
「…………。オレより年上じゃなくて、オレが会ったことなくて、昨日は一日オレと一緒の仕事だった一織が、昨日会ってる……」
ここまでの情報を反芻する七瀬さんの口元に、にまにまとしか表現しようのない、嬉しそうで、満足げで、ちょっと腹の立つような、しまりのない笑みが浮かんでいく。
己の出来心を悔いて、私は胸の中で嘆息した。ああ、やらかした。居心地悪いことこの上ない。七瀬さんがやけに嬉しそうだから、まあ、いいけれど。
「あなたは、歌を歌う仕事ですか?」
「はい」
「あなたは、今日ここにいますか?」
「はい」
「へへ。あなたは、アイドルグループのセンターですか?」
「はい。唯一無二の」
どう見ても正解を確信している七瀬さんの茶番に付き合って、私はせいぜい重々しく頷いてやる。イエスでもノーでもない言葉を加えたのは、出来心のついでだ。
七瀬さんが、顔いっぱいで、ぱあっと笑った。
「――オレだ! オレでしょ!」
「正解です。というか、とっくにわかってたでしょ。ゲームなんですから最短を目指してくださいよ」
「えへへ~。聞きたかったんだもん」
「ちょっと。セット崩さないでくれませんか。なつかないで」
「照れちゃってぇー」
ご満悦の七瀬さんは、ひとしきり嬉しげにくねくねしてから、なにか閃いた様子でぱっと身を起こした。
――非常にいやな予感に背筋に寒気が走ったところで、楽屋の扉がノックされた。助かった、の気持ちで立ち上がり、扉をあける。
「七瀬さん、和泉さん、大変お待たせして申し訳ありません! あと十五分ほどで収録再開です。お支度のほう、よろしくお願いします」
「承知しました。ありがとうございます」
「スタジオの準備ができたらまたお声がけに参りますので!」
恐縮する番組スタッフに礼を言い、足早に戻っていく背中を見送ってから扉を閉める。
「七瀬さん」
「じゃあじゃあじゃあ、最後に一問! 問題決めたから、一織質問して!」
「お断りします。聞いてたでしょ、仕事ですよ」
「ダメ~! まだちょっと時間あるじゃん、はやく質問して!!」
きらっきらのおねだり顔に至近距離で迫られて、私は深々とため息をついた。ああもう、本当に、やらかした。
「いーおーりー!」
「……はあ。わかりましたから。近いです。ちゃんと座って」
「はぁい」
楽屋の椅子に行儀よく座った七瀬さんの、見えない尻尾がぶんぶんと振られているのがわかる。ちょっとテンションが高すぎじゃなかろうか。再開にあたってちょうどいいといえばいいかもしれないが。
「ええと、あなたは……」
「うんうん」
この流れで七瀬さんが出す問題などわかりきっている。茶番の続きだ。さて何を質問してやったものか。
逡巡したのはほんの短い時間だった。
もう大概恥ずかしい会話をしている自覚はある。それなら、私が問うべきはこの言葉だ。
二十も要らない、ひとつきりの扉を、私は開ける。
「――あなたは、あなたの目の前にいる人を、スーパースターにできましたか」
七瀬さんが破顔した。
「はい!」