A05 Call!!

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――影ナレレポ、頼んだ!!!!!!!
 そうは言ったって、何とか間に合わせなさいよ。なんて内心と一緒に送信したスタンプの横には、いつまで経っても既読の文字は浮かばない。変化のない画面とのにらめっこにリソースを持て余した脳は、そのうち、いや結局コットンと連立って何なんだ、なんてぽつんと表示されたままのスタンプにツッコミを入れ始めた。ぴょこんぴょこんと飛び跳ねて、ラビチャの返信を待ちわびる色とりどりのモンスター。それらはどうも、彼らを模した、ではなく、彼らが〝コットンと連立した〟という設定らしく。存在がファンに馴染み切った今でも、一体何だったのかと度々言及されていた。
 とはいえ、まあ。このタイミングで既読がつかなくなるということは、恐らく最寄り駅には到着し、会場までダッシュでもかましているのだろう。開演まで、あと十五分弱。駅からの交通手段が徒歩のみのこの会場じゃ、世界陸上の選手だって影ナレ中に入場するのは難しい。
(仕方ないなあ)
 元々レポの類は終演後に恩恵を受けるばかりだし、私に頼むよりそっち見た方がいいよ、なんて思わなくもないけれど。連番者の頼みとあれば、まあ、頑張ってみるかって気にもなる。連番の交換こって形ではあるけれど、今日のチケットを当ててくれたのは彼女だし。
 なんて考えながらメモ帳を起動すれば、図ったようなタイミングで異質なノイズが騒めきを割る。けれどそれがなんの音であるかを知っている会場は、一瞬のどよめきを生んだ後で息を呑んだ。
「あ、あー。聞こえっか?」
 気もそぞろだった空気は響き渡った一声へと集中し、それは瞬時に悲鳴へと形を変える。
「聞こえているようですね。では、改めまして」
 それをものともせず、涼やかな声が歓声の合間を戦ぐ。けれどちっとも清涼剤にはならなくて、会場のボルテージを上げるばかりだった。
 考えるよりも先に、私の人差し指はメモ帳を閉じ、ラビチャアプリのアイコンをタップする。
――影ナレ和泉!!!!!!!!!!
 未だ既読がつかないスタンプのことなんて忘れて、私は衝動のままにエクスクラメーションマークを乱打したメッセージを送信したのだった。

***

 ああもう、ありえないありえないありえない!
 怒りもやるせなさも全部全部パンプスのヒールに込めてアスファルトを蹴れば、十代の頃の五十メートル走のタイムだって更新できちゃいそうだ。複雑な事情なんて、どこにもない。仕事上の致し方ないトラブル、ただそれだけ。私が今日をどれだけ楽しみにしていたかを知っている同僚は、任せていいよって言ってくれたけど、内容が内容なだけに、そうもいかなくて。それに、責任をほっぽり出して一織くんやみんなに会いに行くのは、なんかこう、据わりが悪いし。そんなわけで半ば意地みたいに最低限の片をつけて会社を出たころには、開演まで一時間半を切っていたのだった。
(なんででかい会場って出入り口までこんなに迂回させるわけ!?)
 余裕入場の時は絶対に頭にないことを愚痴りながら、ライブホールの周りに据えられた広大な土地をひた走る。容赦なく吹き付ける海風が、ほとんど取れかかった前髪のカールにとどめを刺した。立ち話をしている彼、彼女らは、今日は入場予定がないのだろうか。時折視線が痛い気もするけれど、今はもう、そんなことを気にして淑やかに振る舞う暇もなかった。
「開演まではまだ時間があります! ゆっくりと歩いてお進みください!」
 入場ゲート手前までくれば、まだまだチケットを手にした人々でごった返している。拡声器の声に、歩を進めるペースを緩めながら、私はそっと胸を撫で下ろした。
 社会人になってからというもの、運動からはめっきり足が遠のいていて、久方ぶりに酷使された筋肉が早くも悲鳴を上げる。からからに乾き、ややの塩気を感じる口内を呑み下して、荒くなった呼吸を誤魔化した。
 ミシン目に軽く折り目を付けたチケットをスタッフに差し出せば、素早く半券がもぎられて返却される。今日の座席はスタンド一階の後方。チケットに記された扉から入ればすぐの場所で、不幸中の幸いといったところ。
 足早にロビーを進めば、がらんどうの空間にかつん、かつんとヒールの音が響く。目指すは東側の1番扉。カウントダウンのように一つ一つの扉を見送って、恐らくは最も端にあるであろう指定出入り口へと向かう。
(5……4……3……2、……1!)
 防音性能の高い真っ黒な扉が締め切られた様は、どこか重々しくて拒否的にも見えたけれど、そんなことを気にしている時間は一秒たりともない。両手で取っ手を握りしめて体重をかければ、僅かに隙間が空いた先からは微かな光と興奮が漏れ出す。視覚と聴覚を揺さぶられて、背筋がしゃんと伸びた。心臓がぎゅうっと握られた心地がしたのは、絶対、会場まで走りまくったからってだけじゃない。
(まに、あった~!)
 まだ明るい会場をぐるぐると見回して、必死に席を探す。安堵からか逆に頭が回らなくってひたすらに首を振っていれば、ふと二つの光が目に留まった。無数のペンライトがアイドルを待ちわびて揺れる中、そのブルーとオレンジは、確かに私を見つめていた。エールの主は当然に見慣れた顔で、それにまたほっとして、口元が緩む。そんな私を叱咤するように、彼女の口がぱくぱくと動いた。
――お、そ、い!
 ごめんって。心の中で頭を下げながら、ぶんぶんと勢いよく振られるペンライトに向かって駆ける。
「おつかれ。間に合ってよかったー!」
「ほんっっっっっとよかった!」
「レポ送ったから。後で見といて」
「やった、ありがと」
 後で、とは言われたけれど気になって、スマートフォンの液晶を点ける。新着メッセージが31件、最新のメッセージは「やばかった」の一文のみ。彼女の性格を鑑みれば、残りも似たようなものだろうなんて、一瞬で予測がついた。
「私のラビチャはあんたのラビッターじゃないんですけど」
「最初は一言一句漏らさないぞ〜ってメモ帳開いてたんだけどねー、全然無理だったわ」
 からからと笑う彼女はいたく楽しそうで、ちっとも憎めない。
「てかたぶんあと二分とか。前髪直す?」
「うん」
 瞑った瞳の上で、毛束なんてあったもんじゃない前髪が揺れる感覚がする。本当はもっと、かわいくいたかったのに。そんな嘆きは一撫でごとに溶けて、瞳を開く頃にはすっかりと消え去っていた。
「はいよ」
「ありがと」
 昂った期待をかき集めるように、BGMが音量を上げる。開演の予感に心臓が高鳴って、全身を巡る衝動をぐうっと握った拳に閉じ込めた。灯したペンライトを揺らして、5万人を一体にしようとする音楽に身を委ねる。もうすぐライブが始まる。もうすぐ、だいすきな人に会える。そう思ったら堪らなくって、なんだかもう、どうしたらいいのかすら分からなくなる。だけどこの瞬間がひたすらに心地よくて、それが嬉しい。
 BGMの余韻を攫うように、照明が一斉に落ちる。思い思いに揺れるペンライトは、その一つ一つが息をしているみたいだった。
「っっぎゃー!!」
 突如スクリーンに映し出された一織くんに、状況の認識よりも先に悲鳴が口をつく。
「っ、いおりー!!!」
 ああ、もう。大好きだ。火事場の馬鹿力に任せて片付けたトラブルだって、鬼気迫る勢いで駆け抜けた駅からの長い道のりだって、この瞬間の前じゃスパイスにしかならない。
 今日を楽しみにしてたよ。毎日毎日、勇気も元気もたくさんもらってるよ。あなたがいるからがんばれるよ。今日ここに来られて、良かった!大好き!
 アイドルの君に、直接伝えられる日はきっと来ないけれど。でもそれでいい。銀河系を織り成すのが無数の星であるみたいに、たくさんの愛で溢れた歓声が、君に届いたら。
 きっとこの先、奇跡みたいな一瞬がいくつも降り注いで、それらは余すことなく、私の心となる。それを知っているから、今日も私の心臓は君に鳴る。
 逸る鼓動を追い越して、私はまた、君の名前を呼んだ。

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