F05 開けずの扉

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「そういうわけで、皆さん! こちらのお絵かき伝言ゲームをして遊んであげてくれませんかね? 彼と」
「いや、どういうわけ?」
 
 その日ŹOOĻは歌番組の収録目的でテレビ局を訪れていた。新曲とアルバムの宣伝のためにすこし長尺に出代をもらっていて、メドレー形式に三曲ほど歌って踊ったあと、その後のトークパートの収録に備えた機材転換の都合により空き時間が二時間ほど生じた。あらかじめ伝えられていたその休憩時間に楽屋まで戻ると、ŹOOĻのチーフマネージャーである宇都木が突然、妙なことを言い出した。いつでも少し空気が読めない、けれど敏腕な彼らのマネージャーが予測のつかない言動をすることに今更驚きはしないが、それにしても内容が不明だった。なにしろお絵描き伝言ゲームである。
 今をときめくアイドル達の時間はかなり有限だ。楽屋にたどり着くまでの間、四人はそれぞれにこの時間をどう有効活用しようかを考えていた。学校の課題を片付けようか、ライブに向けて体力作りのために軽く走ってこようか、あるいは近場のラーメン屋に繰り出そうか、はたまた出演予定のドラマのスタントシーンの確認をしようか——などとさまざまにタスクを思い浮かべ、こなしていこうとした。そんな矢先にお絵かき伝言ゲームである。
 どういうわけ? と発したのは悠だったが、トウマも巳波も虎於も同じ気持ちだった。
「今度、アルバムリリースを祝してツアーやるじゃないですか。その演出をぜひ手伝いたいという人がおりまして……」
「あー……」
「親睦を深めるためにゲームをしてみるのはどうか、というのが先方の言い訳……いえ、言い分でして」
「いま言い訳とおっしゃいました?」
「いえいえ! そんな、まさか」
 四人の脳裏には瞬く間にツクモプロダクションの元社長かつŹOOĻのプロモーター兼マネージャーであった狐顔の男が駆け巡った。IDOLiSH7と競ったあのブラホワ以降、自らの行いの始末をつけるために姿を消すことを選んだ男。アイドル没落を目論んだフィクサー、もといŹOOĻの火付け役。今では時折、覆面演出家として電話をかけてくるようになった。
 名前を、ムーンライト一郎と言った。
「また“ムーンライト一郎先生”の思いつきですか」
「まぁぶっちゃけて言うとそうです」
「あんた、ビジネスマンなら少しは歯に衣着せることを覚えたほうがいいと思うぞ」
「必要であればそうしますけど、皆さんに嘘をつきたくないので。それでどうしましょう? やってもいいと言ってくださるならすぐにでも繋ぎますが……」
 時間ももったいないですし。そう言う宇都木に四人は顔を見合わせた。課題もランニングもラーメンもスタントの確認も、正直あとに回せなくはない。ものすごく急ぎの要件というわけではないので。けれどこちらから一も二もなく賛成するのはなんとなく癪だった。
「……駄目そうですかね? 最近の了くん、皆さんの雑誌見ては騒ぎ、歌番組見ては騒ぎでちょっと手に負えなくて。一度皆さんと話せたら少しは落ち着くかな、なんて思ったんですが」
「了くんって言っちゃってるし!」
 しかしまぁ、そういうことなら、と満更でもない気持ちが四人に芽生えた。むしろ、あのインタビューも読んでくれたかな……、先日の歌番組で初披露の新曲、もちろん気に入ってくれましたよね……? という思いがむくむくとわきあがり、久しぶりにあの人が元気にしているのかを宇都木越しでなく確認したいような気分になった。四人全員がそれぞれの顔を見回す。気持ちは一致したようだった。小さく頷きあうと、トウマが口を開く。
 「ちょうど空き時間で、俺達も暇してますし。一時間ぐらいならいいんじゃないっすかね! なぁ、お前ら」
「ええ、いいんじゃないでしょうか。賛成です」
「オレもいいよ。ちょっと面白そうだし」
「お絵かき伝言ゲームか。あまり経験はないが時間を潰すにはいいんじゃないか?」
「よかったです! では早速繋ぎますね」
 四人の了承を得るやいなや、できるマネージャーらしく宇都木は速やかにチャットアプリを起動し電話をかけた。五回ほどのもったいぶったコール音のあと、宛先の男が電話口に出る。
 『もしもし。もう待ちくたびれたよ! 四人呼び出すだけでどうしてこんなに時間がかかるわけ? 暇すぎたから色々な会場に入り込んでお題を捻じ曲げてアルバムをぐちゃぐちゃにする遊びしちゃったよ! 生まれてこのかた一番無駄な時間だったね! どうしてくれるの』
「どうしてくれるの、は完全に向こう側のセリフだよな」
「巻き込まれた方々がかわいそう」
「ま、まぁまぁ! 伝言ゲームってなんかそういう、お題が逸れていくのを面白がるもんだろ?」
「そうかなぁ? ていうか了さん、まじで友達いなそ……」
『その声、悠? 相変わらず身長の割に態度がデカくて小生意気だね。 知ってるよ〜、そういうお前こそ、学校でまともに話しかけられるのはIDOLiSH7の和泉一織と四葉環だけなんだろう?』
「宇都木さん! やっぱやめよ!!」
「そうしましょう。ムーンライト一郎先生、このお話はご破産ということで。皆さん! せっかくですし口直しにおやつでも食べにいきましょうか。この局の前に来てるフードトラック、結構美味しいらしいですよ」
 いえーい! と四人で声を揃えると、電話口の相手が慌てたように、おい! 待て! と繰り返しているのが聞こえた。声音がなかなかにあわれっぽく、あの月雲了がこんなふうにまごまごしていると思うと、もう一度ぐらい救いの手を差し伸べてもいいかもしれないとトウマは思った。宇都木からスマホを受け取ると、電話口に向けて諭すように声をかける。 
「一緒に遊びたい……んすよね? 俺達と。喧嘩したいわけじゃなくて」
『……ふん! 誰が!』
「トウマ〜! ほら行くよ〜!」
「待て待て待て待て! お前ら、見切りつけるの早すぎだろ!」
「だってオレ馬鹿にされたし」
『先に煽ってきたのはそっちだけどね』
「ほらぁ!!」
「ねぇ。こんなんだから、ムーンライト一郎先生は地球上に私たちしかお友達と呼べる相手がいないんです。ほんとウケますよね」
『おい! 聞こえてるぞ士郎!! 名誉毀損で訴えてもいいんだからね? 出るとこ出ようか?』
「亥清さん。フードトラック、クレープ屋さんがあるみたいですよ。ほら、ウサギの耳のトッピングができるんですって」
「やった〜! 巳波は? どれにする? オレおかずみたいなのと甘いのどっちも食べたい!」
「あらあら、食いしん坊。さすが育ち盛りですね」
「そんなこと言って巳波、悠の倍は軽く食べるだろう」
 旗色が悪いどころの話ではない。もはやトウマ以外の全員が今にも楽屋のドアを出んとしている。通話終了五秒前といった有様だ。しかし依然としてトウマの手の中の電話は切られておらず、全員がそれを分かった上で、繋がった先の男に聞かせるように会話をし、返ってくる言葉に耳を傾けている。ある種のプロレスみたいに。
 分かっていたことではあるが本当に全員、素直ではない。
 こういう時切り込むのが自分の役目だ。自然とそうなってしまった。そしてそういう役割が今の自分に期待されていることがくすぐったく、嬉しくもあった。トウマは唇をそっと舐めて湿らすと、多少演技っぽく咳払いをした。お偉いさんが咳払いで注目を集めるような仕草に、悠が朝礼で校長先生の長話を聞くはめになった時の顔をしている。
「えーと、ムーンライト一郎、先生?」
『なに。もう切ってもいいよ。クレープでもケバブでも好きなだけ食べてくれば』
「前なら了さんから切ってたでしょ。……でも切らないなら、まだそこにいるなら、俺たちと楽しく遊ぶ方法、覚えてくださいよ」
『……ふん』
「一緒にやろうって、言ってくれるだけでいいんすよ。それが聞きたいだけなんだ、俺たち」
 たった一言、お願いを口にするのに未だに足が竦む自分を、トウマは自覚していた。
 NO MADとして元メンバー達とステージに立っていた時に味わった人生のてっぺんとどん底は、一度トウマの心臓をぺしゃんこに潰した。ずっと応援してほしくて、そばにいてほしくて、愛されたくて、何度も何度も願った情熱は、まばゆく輝く一等星だらけのこの業界ではあっという間に埋もれてしまうような、数多あるライトのうちの一つでしかなかった。いつでも新しくなければ、面白いものでなければ、感動を、生み出し続けなければ。観客はあっという間に次の流れ星の元へと走っていく。
 ここにいるのに、ここで、叫んでるのに。喉が裂けて血を吐きながら叫んでも足りなくて、足りなくて、足りなくて。
 叶わない願いを叫び続けられるほど、強くいられなかった。
 だから諦めた。
 でも、あの日。
 電話の先にいる、この男の真っ黒な衝動が、渋谷のステージにŹOOĻを生み出した。
 『……トウマって本当にとんだアオハル野郎だね。脳の精密検査受けておいで。お花詰まってるかもよ』
「茶化すなよ。了さんがくれたんじゃんか」
『別に、…………ただ、君たちが、どうしてるかなって。…………インタビューよかったけど、少し顔が疲れてた。新曲のパフォーマンスも、君たちならもっと派手に、世間に見せつけるみたいに、動けたはずでしょ』
 気づけば、楽屋のドアは閉まっていた。全員が宇都木のスマホをとり囲むようにして隣り合い、電波を隔てたかつての自分達のプロモーターの声に耳を澄ませている。
 少し前、自分達が月雲了が操る指揮棒に合わせて踊る見せ物のマリオネットだった頃。傷つきすぎた自分を言い訳に、誰をどれだけ傷つけても構わないと思っていた頃。結局どうしたって行き止まりで、元いた場所とは別のどん底についただけだった。
 楽になりたくて、努力をあげつらって、真正面から誰かに向き合うことをやめた自分達の前にあったのは、冷たく堅固に閉ざされた地獄の扉だ。ひとたびくぐってしまえば、この先一生何者にも、自分にもなれない。そういう類の。
 その扉を躊躇いなく開けはなてる人間になり損なって、全員がこの道の上にいた。
 どんな痛みもどんな謗りも自分のものとして生きて、怖くても逃げたくても、後ろを向くことはしない。四人で選んだ、長く険しい道の途中に。
「……不器用な人。心配して下さったんですか。最初からそう言えばいいのに」
『特大のブーメランをどうも』
「一緒に遊ぼーっていうだけじゃん。まわりくどいなぁ」
『驚いた! 特大ブーメランその二がきたよ。自覚ないの?』
「新曲のパフォーマンスな、あの日は全員筋肉痛だったんだよ。……覚えてるか? 了さん前に俺たちへの嫌がらせのために動物の世話するバラエティーに送り込んだだろ? あれにまた呼んでもらってさ。今度はŹOOĻ全員でやるバブルサッカーの回だったよ。悠が信じられないぐらい跳ね飛ばされて……」
「跳ばされてないし! ちょっと転んだだけじゃん!」
『あぁ、あの回撮った後だったの』
「まあともかく、なれない筋肉使ったもんだから全員もれなく筋肉痛だったんだ」
『あっそ。別に聞いてないけど、どうも』
 一つのスマホを取り囲みながら話していると、最初にムーンライト一郎が電話をかけてきた日を思い出した。パソコンの画面に向けて四人で鈴なりになって、会話をして、初めてお互いの顔を真正面から見られた気がした。不器用なりに、素直じゃないなりに、ŹOOĻを傷つけないで済む関わり方をわざわざ考えて電話をしてきたこの人を。たくさんひどいことをされたけど、ひどいことをしてしまったけど、決してそれだけではなかったから。恨みきれない。嫌いになれない。
 月雲了も、自分達と同じようにただ振り向かれたかっただけだと、四人は分かってしまったから。
「もー、まどろっこしいな! で、お絵描き伝言ゲームってどれ? どうやるの?」
『……そもそも、ただの口実だから。本気でやりたかったわけじゃない』
「えー? せっかく集まったんだから、一回ぐらいやって解散しようよ。いいでしょ? オレ、絶対了さんよりうまい絵描ける自信ある! ぜーったい勝つ!!」
『身長馬鹿にされたの根に持ちすぎでしょ。あと絵は僕の方が上手いから』
「私も絵、割と得意ですよ」
「あー、巳波の絵は……なんというかこう、キュビズム的な良さがあるよな。な、トウマ」
「キュビ……キューピー? マヨネーズなら俺も好きだぜ!」
『なんっでやる流れになってるの? 嘘でしょ?』
「よかったね了くん、あそこから入れる保険があって」
 あっという間ににぎやかさを取り戻した楽屋の中、トウマの目の中にふと幻が浮かび上がる。閉じられた楽屋のドアに、あの日あけずにいた扉が陽炎のように重なっていた。どっしりと重く、おどろおどろしいその扉は、幾度かのまばたきの間に白昼夢のように消えた。目の裏の残像を振り払うように、トウマは慌ててポケットからスマホを取り出すと、今にも始まりそうなゲームの輪に混ぜてもらうためにホーム画面をスワイプした。

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